両足を事故で失ってもポジティブだったアダプテッドスケーターのフェリペ・ヌネス「『楽しみたい』気持ちが上回っていたんだ」 (2ページ目)

  • 瀬長あすか●取材・文 text by Senaga Asuka
  • 浅原満明●写真 photo by Asahara Mitsuaki

 ヌネスは6歳のとき、事故で足を失った。友達と駅に停留していた貨物列車で遊んでいて、その電車に轢かれた。「自分がここに寝転がっていて自分の足はあっちにある。助けを待っているとき、向こうでお母さんが叫んでいて......」。事故のことは、すべて昨日のことのように覚えているという。

 一命をとりとめたヌネスは、病院のベッドで目が覚めると、自分の足がないことに気づく。「幼心に、医者があえて告げないようにしていたのがわかりました。でも、自分のなかでそれほど衝撃はありませんでした」

悲壮感はない。もともと明るい性格だった、と本人は言う。

 そして、自転車、水泳、オートバイ、四輪車などいろいろなことに挑戦した。

「事故によって何かを失った思いよりは、他の子どもたちと一緒に楽しみたいという気持ちの方が強かった。『できない』という気持ちよりも、『楽しみたい』気持ちが上回っていたと思います」

 そのポジティブなマインドには、思わず敬服してしまうほどだ。

「確かに悪いことが起きてしまったかもしれない。でも、またあの時に戻って同じ駅に遊びに行くか?と問われたらきっと遊びに行くと思います。それだけ、自分にとっては事故から得るものが大きかった。人生とはギフトだと思います。後悔して生きるよりも、生かされた人生をどう活かしていくか考える道を選びました」

 そんなヌネスは、ひとつの夢中になれることに出会う。12歳のときに乗り始めたスケートボードだ。移動手段として使っていたロングボードからスケートボードに乗り換えたことがきっかけだった。

「最初は乗りなれたロングボードからの乗り換えに躊躇しました。でも、友人たちはスケートボードに乗り換えた方が絶対にいいよ、と言うんです。実際に乗り換えたら......スケートボードのほうがずっと軽くて自由に動くことができました。タイヤが柔らかいので慣れるまでちょっとだけ苦労しましたが、今でも車いすには乗らず、移動もスケートボードです」

 生活の手段だったスケートボードは、やがて自らの生計を支える柱になる。14歳の時に出場した国内の大会で健常者を抑えて1位になると、18歳でフロリダの国際大会へ。そこで、スケートボード界のレジェンド、トニー・ホークに見出され、ヌネスはプロの道へと進むことになる。

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