パラアイスホッケー日本代表、
苦難の7年を乗り越えて掴んだ平昌キップ (3ページ目)
司令塔の高橋和廣(東京アイスバーンズ)が、「中北監督と信田コーチ、異なるふたつの意見がある。戸惑う選手もいましたが、"いいとこ取り"をしてフォーメーションに生かしていくのが僕らの役目。それが起因となったかわかりませんが、選手間でよく話をするようになりました」と語るように、結束力も強まったようだ。
今大会のメンバー17名のうち、約半数の8名の選手がパラリンピックを経験していない。ドイツ戦で先制点を決め、大会を通してチーム最多の4ゴールを挙げた42歳の熊谷昌治(長野サンダーバーズ)も、そのひとり。彼のこの4年間の努力と成長は、チームに大きな影響を与えた。
35歳の時、バンクーバー大会後に競技を始め、競技歴は7年になるが、「自分が代表になってから、公式大会や遠征でも連勝した記憶がほとんどない」と振り返る。2012年世界選手権に初出場したが、ベンチスタート。出場できたのは結果が出た後の試合で、アイスタイム(出場時間)もごくわずか。その悔しさを発奮材料に、スケーティングとシュート力を徹底的に磨き、翌年のソチ大会最終予選では、チームの中心選手として活躍するまでに成長した。だが、夢にまで見たパラリンピック出場は叶えることができなかった。リンクの上で流した悔し涙。熊谷は「自分の力不足」と戒(いまし)め、帰国後はすぐにトレーニングを始めた。
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