2020東京パラにつなぐ。50年前に日本人が受けた衝撃 (4ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 竹藤光市●写真 photo by Takefuji Koichi

伊藤 そうですね。そういう考え方を、当時されていた方はなかなかいないですよね。太郎先生もこうして尽力されているのは、そういう環境の中で育ったというのも大きいですよね。

中村 ここ10年くらいになって、自分は変わった家庭に育ったんだなと気がつきました(笑)。医者の家に生まれて医者になるというのは結構多いんですけど、うちの場合は医者と言っても、障がい者の働く場を作ったり、パラスポーツに取り組むという部分で相当変わっていました。パラスポーツに関わっているドクターって、僕もずっとやっていますけど全然メンバーが変わらないんです。あまり増えてないんですよね。ただ、東京パラリンピックが決まって以降、年に1回国立リハビリテーションセンターでパラスポーツの専門医を育てるという講習会をやっていて、それはすごく参加者が増えたらしいです。

伊藤 そういった取り組みから、専門医が今後増えていくといいですね。

中村 パラリンピックをきっかけに、パラリンピックが終わった後も、こういう取り組みがずっと続いていくことを願っています。
(おわり)

中村太郎(なかむら たろう)・写真右
1960年9月14日生まれ。大分県出身。大分中村病院の理事長と、社会福祉法人「太陽の家」の理事長を務めている。父である中村裕(ゆたか)氏は、1964年の東京パラリンピック開催に尽力され、「パラリンピックの父」と呼ばれているが、その意思を受け継ぎ、障がい者の方が社会復帰を目指すサポートや、パラスポーツにも深く携わっている。2000年のシドニーパラリンピック、2004年のアテネパラリンピックではチームドクターを務めた。パラスポーツに関する著書としては、2002年「パラリンピックへの招待―挑戦するアスリートたち(岩波書店)」がある。

伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにしてパラスポーツと深く関わるようになった。現在、パラスポーツの競技大会のインターネット中継はもちろん、パラスポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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