東京パラリンピック成功のカギは「大分県にアリ」
大分中村病院理事長・中村太郎インタビューVol.3
中村太郎氏の父であり、パラリンピックの父と呼ばれた中村裕氏(ゆたか/1927年~1984年)が、パラスポーツを根付かせた地である大分県。その大分県では、現在も毎年大分国際車いすマラソン大会が開催されるなど、変わらずパラスポーツが身近にある。今回はドクターとしての目線ではなく、大分県の地域性や、生活している中で感じるパラスポーツへの理解度について語ってもらった。
(インタビューVol.1 Vol.2はこちら)
生まれ育った大分県とパラスポーツについて語った中村太郎氏伊藤数子(以下、伊藤)前回最後に少しお聞きしたのですが、大分県のあるランニングロードでは、車いすのレーサーの方も練習されているんですよね?
中村太郎(以下、中村)そうなんです。全然違和感なく、毎日数名の車椅子の選手が練習しています。
伊藤 それは昔からそうだったのですか?
中村 元々そういう街だったわけでないと思います。たぶん、『大分車いすマラソン』が今年で35回目を迎えて、それだけ毎年街中でやっていると、車椅子の選手に対する違和感がなくなっているのだと思います。
伊藤 長い月日をかけて変わってきたんですね。大分が35年間積み重ねてきたものをなんとか5年で、東京を舞台に実現できたらいいなと思うのですが。
中村 僕はロンドンパラリンピックも行ったんですけど、東京のほうがバリアフリーの点ではすごく進んでいると思います。ロンドンはパラリンピックが行なわれたのに、地下鉄の駅で、車椅子の方が使えるエレベーターは2駅、3駅に1個ぐらいしかありませんでした。それに加えてロンドンは古い街なので、道路はデコボコでした。
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