フェアな勝負とは? パラスポーツにおける「クラス分け」を考える (4ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 竹藤光市●写真 photo by Takefuji Koichi

伊藤 そう考えると"クラス分け"は責任の大きい仕事ですね。ところで、中村先生はアスリート・スポーツの場面以外でも、障がいのある方と接することがあると思いますが、そういった方のスポーツとの距離はどう感じていますか?

中村 パラリンピックを目指すような本格的なアスリートとは裏腹に、一般の障がい者の中には、「スポーツ」はまだまだ遠い存在と思っている人が多いんじゃないかと思います。

伊藤 そうですよね。

中村 現実に、移動ひとつとってもそうだし、スポーツウェアに着替えるのだって大変だし、練習場所がないとか、あるいは周囲の目が気になるとか、そういうのがまだあるんじゃないかなと思います。そういった点では大分県はすごく変わっていて、国道沿いにサイクリングロードとランニング道路があるんですけど、そこを毎日当たり前のようにマラソンランナーと車いすマラソンのレーサーが一緒に走っているんです。東京ではなかなか、皇居の周りを一緒に走るってことは難しいことですよね。

伊藤 確かに!東京ではちょっと考えられないです。大分県のそういった姿は、2020年に向けて東京が学ぶべき"何か"を示しているかもしれませんね。次回はその話を聞かせてください。
(つづく)

中村太郎(なかむら たろう)・写真右
1960年9月14日生まれ。大分県出身。大分中村病院の理事長と、社会福祉法人「太陽の家」の理事長を務めている。父である中村裕(ゆたか)氏は、1964年の東京パラリンピック開催に尽力され、「パラリンピックの父」と呼ばれているが、その意思を受け継ぎ、障がい者の方が社会復帰を目指すサポートや、パラスポーツにも深く携わっている。2000年のシドニーパラリンピック、2004年のアテネパラリンピックではチームドクターを務めた。パラスポーツに関する著書としては、2002年「パラリンピックへの招待―挑戦するアスリートたち(岩波書店)」がある。

伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにしてパラスポーツと深く関わるようになった。現在、パラスポーツの競技大会のインターネット中継はもちろん、パラスポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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