ボートレーサー・渡邉雄朗は公認会計士試験で電卓を没収され「暗算と筆算」で合格した
公認会計士からボートレーサーに転向した渡邉雄朗 photo by Ishikawa Takao
文武両道の裏側 第23回
渡邉雄朗(ボートレーサー)前編(全2回)
【大学まではスポーツに熱中】
ボートレーサー・渡邉雄朗。現在39歳の渡邉は難関資格とされる公認会計士の肩書を持ちながらレーサーとしても最高級のA1級に位置し、通算優勝は10回と堂々たる活躍をしている。彼はなぜ、華々しいキャリアを捨てて勝負の世界に飛び込んだのか。その生い立ちを通じて、渡邉の内面に迫ってみた。
渡邉は高校卒業後、1年の浪人期間を経て法政大学に入学。公認会計士を目指し始めたのは大学3年時で、4年生の夏に試験に合格した。さぞ昔から頭脳明晰だったのかと思いきや......。
「いや、勉強は得意じゃなかったです。まあ普通よりちょい上、でしたかね」と、想定外の自己評価を口にした。
幼少期の渡邉は、むしろスポーツ少年だった。幼稚園から小学校低学年まで相撲を習ったのを皮切りに、小学生の時にサッカー、中学では野球、高校時代にはハンドボール、大学ではボクシングと多彩なスポーツに取り組んだ。高校を選ぶ基準が「ハンドボール部があるかどうか」だったというのだから、熱の入り方もすさまじい。
そんな背景もあり、大学受験の際もスポーツ系の分野を目指した。
1年の浪人期間を経て、法政大学人間環境学部に進むこととなった。高校時代から憧れていたボクシングを始めるまではよかったのだが、学業のほうで想定外のことが起こる。
「人間環境学部って人間の体内環境とかを勉強できるのかなって思っていたら、いきなりオゾン層の話が始まって......。あれ、環境問題? 『人間』はどこ行った? みたいな(笑)。全然興味のないところに入っちゃったなって」
大学の授業にはまったく心が動かなかった。必然的にボクシングに没頭することとなる。毎日皇居の周りを走り、サンドバッグを叩く日々。先輩の強さに圧倒されて試合出場は少なかったものの、着実に自らの進化を感じられる生活は充実していた。
それでも時は進む。大学3年になると、周囲は次第に就職活動を始めていく。渡邉も将来のことを考えなければならなかった。
「一浪して入っているので周りはみんな1歳下で、同じようなところに就職するのは悔しいので、じゃあでっかい資格を取ろうと思って資格を探し始めました。医者は無理だし、司法試験は難しそうだけど、公認会計士なら何かよくわからないけど取れそうだ、みたいな(笑)。何も知らないからこそ飛び込めました」
会計士になって自分の事務所を開き、トップになろう。そんな夢を描いた。
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著者プロフィール
杉田 純 (すぎた・じゅん)
1996年生まれ、東京都出身。大学卒業後、金融機関勤務を経てボートレース専門紙「ファイティングボートガイド」の記者に転身。現在はボートレース取材の傍ら、野球の記事執筆も手掛け、12球団合同トライアウトは22年から3年連続で取材。目標はこの欄で紹介できるような著書を書けるようになることと、舟券の年間回収率100%超え

