【平成の名力士列伝:黒海】 「規格外のパワー」で欧州出身力士の道を切り開いたパイオニア
欧州出身力士としての道を切り開いたジョージア出身の黒海 photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝36:黒海
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、欧州出身力士のパイオニア的存在として活躍した黒海を紹介する。
【素質とパワーで果たしたスピード昇進と上位勢撃破】
太い眉にギョロッとした大きな目がトレードマークの黒海は、ヨーロッパ出身初の幕内力士として平成中期の土俵を盛り立てた。
出身は旧ソビエト連邦(1991年に独立してグルジア共和国、日本での名称は2015年にジョージアに変更)のスフミ市で、子どもの頃に激しい内戦から家族でトビリシ市に避難した。12歳でスポーツアカデミーに入学し、レスリング・フリースタイルで欧州ジュニア選手権重量級で優勝するなど、将来を大いに嘱望されていたが、体重の上限が130キロから120キロに引き下げられたことで、レスリングを続けるかどうか悩んでいた。相撲との出会いは、ちょうどそんな時期だった。
日本のアマチュア相撲チームがジョージアにやって来た際、練習を見て自分もやってみたくなり、関係者を通じて平成13(2001)年1月、19歳で来日することになった。
当初は日大相撲部に預けられて相撲の基礎を学ぶと同年夏場所、日大OBで元幕内・大翔山の追手風部屋から初土俵を踏んだが、入門時ですでに身長188センチ、体重146キロの堂々たる体格であった。
恵まれた素質と"規格外"のパワーで入門から2年で関取に昇進。十両は4場所で通過し、平成16(2004)年1月場所で新入幕を果たした。初土俵から所要16場所での入幕は年6場所制となった昭和33(1958)年以降、史上10位タイ(当時)のスピード出世だった。
前頭7枚目で迎えた入幕3場所目の同年5場所は、11日目に新入幕の白鵬を突き出して勝ち越しを決めると優勝戦線にも名を連ね、翌日は大関戦に抜擢された。初めての大関戦で黒海は度肝を抜く強烈な突き放しで武双山を一方的に押し出し、強烈なインパクトを残した。
翌13日目も普天王を寄り切って幕内初の10勝をマーク。14日目から連敗を喫し敢闘賞候補に挙がったが、惜しくも落選した。
続く7月場所も大関・武双山を破って8勝7敗と勝ち越すと、前頭筆頭で迎えた9月場所は武双山、魁皇、千代大海の3大関を撃破する大活躍だったが、7勝8敗に終わり、幕内で初の負け越しとなった。
この場所から3場所連続で7勝どまりと新三役を目前にして足踏みしたが、前頭6枚目で迎えた平成17(2005)年7月場所でブレークを果たす。
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著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。