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藤澤五月が余裕を失っていた12年前の日本代表決定戦 今なお脳裏に浮かぶ光景とは... (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro

 それでもやっぱり、負けた瞬間のシーンは、脳裏に浮かびます。

 ラウンドロビンの成績を含めて4戦先勝したほうが日本代表となる決勝の第4試合。確か最終エンドで3点くらい負けていて、ガードストーンも処理されてしまい、最後はサードの弓枝さん(船山/現フォルティウスコーチ)がダブルテイクアウトを決めてコンシード(握手を求めて相手の勝ちを認めること)となったはずです。

 握手を交わしたあと、それまでいいショットがあっても、ミスが出ても、淡々とプレーしていたスキップの歩さん(小笠原/現日本カーリング協会強化部副部長)と弓枝さんが、喜びを全身で表現していたのが印象的でした。

 私たちにプレッシャーがかかっていたのと同様に、あれだけのキャリアのある歩さんや弓枝さんにもプレッシャーは存在していて、それに気づかないくらい私は余裕を失っていたんだと思います。

 その後の記憶はさらに曖昧です。はと美さん(長岡コーチ)やチームメイトと抱き合って、長い時間泣いていました。

(つづく)◆15投目:藤澤五月が「悔しさを忘れないように...」初めてきちんと見た五輪>>

photo by Fujimaki Gohphoto by Fujimaki Gohこの記事に関連する写真を見る藤澤五月(ふじさわ・さつき)
1991年5月24日生まれ。北海道北見市出身。高校卒業後、中部電力入り。日本選手権4連覇(2011年~2014年)を果たすも、ソチ五輪出場は叶わなかった。2015年、ロコ・ソラーレに加入。2016年世界選手権で準優勝。2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得した。趣味はゴルフ。

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