天啓を受け会社員からガールズケイリンへ 二度の大ケガにも「職場復帰する義務がある」と語る石井貴子が掴んだ不変の新境地とは (3ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro

理路整然と自身の過去を振り返る photo by Hirose Hisaya理路整然と自身の過去を振り返る photo by Hirose Hisayaこの記事に関連する写真を見る

【復帰した理由は"プロだから" 】

 才能はすぐに花開いた。プロデビュー戦で勝利し、そこで完全優勝。翌2015年にはガールズケイリン最高峰のレース、ガールズグランプリ2015に出場するまでになった。また競輪学校在籍中からナショナルチームにも選出され、アルペン競技では叶わなかった日の丸を背負い、世界選手権やワールドカップに出場している。自分の人生すべてを自転車に捧げる人生は充実していた。

「自転車は楽しさを求めたのではなく、仕事として選んだので本当に必死でした。練習で追い込みすぎ、熱を出して休むこともよくありました。20代前半だからできたんでしょうね」

 当時を振り返って、石井は少し照れくさそうに笑う。その全力で取り組む姿勢ゆえに、ナショナルチームの活動とガールズケイリンの両立が心身ともに難しくなり、2017年頃からはガールズケイリンに専念。18年から3年連続でガールズグランプリにも出場し、18年、19年は2着、20年は4着と好成績を残している。順風満帆だったと言っていいだろう。

 だがその矢先、冒頭の落車が起きた。離脱している間、そしてその後の不調の時期に自分の不運を呪うことはなかったのか? そう問いかけると、石井は即答でこう応えた。

「落車は競輪では本当に多く起きます。それが私にも起きたというだけで、特別なことではないんです。この競技は常に危険が伴うものであり、だからこそ、それなりのお金をもらえています。でもやっぱりケガをしている間は気持ちが切れましたよ。何度も辞めようと思いました」

 その気持ちをつなぎ止めたのがファンからの期待の声だった。最初の落車の時期に行なわれていた、オールスターのファン投票で5位となり、8月のガールズドリームレース2021に選出。石井はここでの復帰を目指し、それを果たした。2023年春の落車では約3カ月半の間、レースから遠ざかり、ようやく7月に復帰。その後、開催されたビッグレース、アルテミス賞レース(ファン投票12位で選出)では、2着と結果を出した。

「レース後、『おかえりなさい』とファンの方から言われた言葉も印象に残っています。私はまだ走っていいんだなと思えてうれしかったですね。私はガールズケイリンを仕事としてやっていますので、どんな状況でも職場復帰する義務があると思うんです。苦しい時期があってもなぜ、今まで自転車を続けているのかと聞かれたら、"私はプロだから"というのが答えになります」

 強い眼差し、きっぱりとした口調で石井はそう言いきった。

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