天啓を受け会社員からガールズケイリンへ 二度の大ケガにも「職場復帰する義務がある」と語る石井貴子が掴んだ不変の新境地とは (2ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro


パールカップ後の記者会見で涙ながらに語る石井 Photo by Yasuda Kenjiパールカップ後の記者会見で涙ながらに語る石井 Photo by Yasuda Kenjiこの記事に関連する写真を見る

【自分のすべてをかけられるものを仕事にしたい】

 石井のバックグラウンドはスキーのアルペン競技。2歳から始め、大学時代まで情熱を捧げてきた。

「大学まではスキー中心の生活でした。ただケガも多く、靭帯損傷を何度も経験し、手術もしています。大学でスポーツ医学を専攻していたのですが、学べば学ぶほど私の体は骨格的に靭帯を痛めやすいことも知りました。怖いなと思うようになりましたが、それでもスキーは楽しかったですね。でも、それを仕事にするのは難しく、未練を残しながら就職活動をしたんです」

 スキーは大学で引退し、卒業後は一般企業へと就職した。気持ちを切り替え、仕事を頑張ろうと決めたが、早い段階で違和感を持つ。「私は選択を間違えていないか、本当にこれでいいのか」と日々、自問自答を繰り返したという。そんな時、天啓のようにある考えが浮かび上がった。

「通勤の電車のなかで本当に突然、"競輪選手になろう"と思ったんです。ガールズケイリンがスタートすることを学生時代に知っていましたので、その情報が頭に残っていたんでしょうね。本当にそれだけの理由です。自分でも不思議なくらい、急にストンと思いついたんです」

 スキーのために自転車を使ってトレーニングをすることはあっても、自転車競技が特別好きだったわけではない。ただ、自分のすべてを注ぎ込めるものを仕事にしたかった。そして「ガールズケイリンならそれが叶えられるはずと直感的に感じた」と石井は言う。そこからは仕事を続けながら出勤前や休日に練習し、日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)の試験の1カ月前に会社を退社して受験。見事に合格を果たす。2012年12月のことだった。

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