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【平成の名力士列伝:栃東】芸術品の「おっつけ」と心の強さで存在感を発揮した平成の名大関 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【心の強さを発揮した3度の朝青龍戦】

2003年11月場所では朝青龍(左)を破り2度目の優勝を決め、雄叫びを上げた photo by Jiji Press2003年11月場所では朝青龍(左)を破り2度目の優勝を決め、雄叫びを上げた photo by Jiji Press 10勝以上で大関復帰の特例が適用されるのは、陥落直後の1場所だけで、もしも1番届かずに9勝に終わったら白紙に戻る。大関復帰には、また一から好成績を積み上げていかなければならない。ただでさえ重圧がかかるうえに、栃東の場合、復帰をかけて土俵に上がった2場所はいずれも、休場の原因となったケガが完治していなかった。そんな状況で、重圧を撥ね退けて2度とも復帰を果たせたのは、「心」の強さの賜物だ。

「心」の強さがいかんなく発揮されたのが、3回の優勝の場所での朝青龍戦だ。

 新大関として迎えた平成14(2002)年1月場所4日目、新進気鋭の関脇・朝青龍と対戦。激しい張り手を嵐のように浴びて鼻血を出し、行司が「待った」をかけ止血作業を行なう異例の事態に。しかし、「慌ててくれれば隙が生まれる」との言葉どおりに辛抱して勝機をうかがい、再開後、強引な巻き替えに乗じて上手出し投げで快勝。この場所、33年ぶりの新大関優勝の快挙で初めて賜盃を手にした。

 2回目は平成15(2003)年11月場所千秋楽。すでに横綱に君臨していた朝青龍と2敗同士、勝ったほうが優勝という大一番に臨み、突っ張りをあてがってしのぎ続け、引きに乗じて押し出して優勝した。

 3回目は平成18(2006)年1月場所千秋楽。1敗の単独首位で勝てば優勝の栃東は、この時朝青龍が右ヒジを負傷し右からの攻めが不十分と読み、意表をついて不得意な左四つに組んで先に右上手を取り、相手が右上手を取りにきたところを上手出し投げで仕留めて3回目の優勝を飾った。

 朝青龍はここ一番の勝負強さが抜群といわれた。そんな横綱を破って優勝につなげた3番には、いずれも「こうすれば勝てる」という技術的な理由がある。「技」に裏打ちされた「心」の強さこそ、栃東の相撲の真髄だった。

 平成19(2007)年3月場所、偏頭痛に悩まされて途中休場し、検査の結果、脳梗塞の跡が見つかって引退を発表。「期待された横綱には、心技体の『体』の面で届きませんでしたが、最後は、神様が『そろそろいいぞ』と言ってくれたのかもしれません。悔いはないです」と語った栃東は、父の玉ノ井部屋を継承し、自らの経験を活かして弟子の育成に励んでいる。

【Profile】栃東大裕(とちあずま・だいすけ)/昭和51(1976)年11月9日生まれ、東京都足立区出身/本名:志賀太祐/しこ名履歴:志賀→栃東/所属:玉ノ井部屋/初土俵:平成6(1994)年11月場所/引退場所:平成19(2007)年5月場所/最高位:大関

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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