【パリオリンピック女子フェンシング】エース江村美咲ら個人戦早期敗退の雪辱を団体で晴らす! フルーレ、サーブルともに日本女子史上初の銅メダル (2ページ目)
【ついにオリンピックの結果に繋がる】
フルーレ団体で銅メダルを勝ち取ったメンバーたち(左から宮脇、上野、菊池、東) photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る
男子は2008年北京五輪で太田雄貴が銀メダルを獲得したのをキッカケにレベルを上げ、2012年ロンドン五輪の団体銀や世界選手権の個人や団体でのメダル獲得も果たした。世代交代をした2016年リオデジャネイロ五輪後も、世界選手権では若い世代のダブル表彰台や、昨年の団体初優勝という快挙も果たした。
だが、2003年にウクライナからオレグ・マチェイチュクコーチを招聘してフルーレの強化を始めてから、先に結果を出していたのは女子だった。2005年には現在コーチを務める菅原がワールドカップ初優勝を果たし、2007年3月に団体でワールドカップ初表彰台の3位になり、10月の世界選手権も3位。北京五輪でも太田の前に7位で日本人初入賞を果たしていた。
その後は男子を追いかける立場になったが、選手たちは高い意識を持ち続けた。
「東京五輪では4強に入るのも難しい状況だったが、その後はワールドカップ団体でも今のメンバーで安定してメダルを獲れるようになり、昨年の世界選手権も銅メダルで五輪のメダルも現実的になってきました。
期待されるようになってプレッシャーも大きくなったが、コーチが『絶対に獲れる』と勇気づけてくれ、自分たちも自信が湧いていい流れになった」(東)
「今まで大舞台の結果を問われてきたけど、ここで勝ちきれたことは本当にうれしい。東京五輪のあとはコーチも練習の時からオリンピックの話をしてずっと意識させてくれた結果だと思う」(上野)
菅原コーチは「(今回)銅メダルだったので、次は金を目指す」と言い、「この結果を見て若い選手たちが『自分たちもできる』と思うはず。男子フルーレがそういうふうにレベルが上がってきたので、女子フルーレもそうなっていく」と期待の言葉を続けた。
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