オリンピック史研究の第一人者・來田享子の指摘 大会の意義を総括しないメディアの責任と東京五輪後に見え始めたアスリートの変化 (4ページ目)

  • 西村 章●取材・文 text by Nishimura Akira

【大人が発言をしないのに若者に求めても...】

來田氏はオリンピック史研究を通して大会ごとの意義を説いている photo by Sportiva來田氏はオリンピック史研究を通して大会ごとの意義を説いている photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る

――たとえば現在のイスラエルとパレスチナの状況や、ロシアのウクライナ侵攻に対する意思表示などは〈政治的〉と指弾される一方で、「政治ではなくあくまでも人権問題だ」という指摘もあります。オリンピック憲章規則50(※)の問題もありますが、日本のアスリートや競技団体はこれらの課題を積極的に考え、取り組もうとしているのでしょうか。
(※:選手が大会期間中に宣伝・広告、デモンストレーション、政治的・宗教的・人種的プロパガンダを行なうことを禁止する項目)

來田:IOCは昨年、オリンピック憲章を改正し、ガイドラインに沿って選手などが表現の自由を享受できると定めました。ですが、日本では、発言することやその方法について選手に十分伝えることはできていないと思います。そもそも大人が発言をしたがらない、発言をSNSなどでたたき合う国で、若い人たちに発言しろと言ってもそれは無理ですよ。投票率が30%や40%の国で、そんなことを期待できるはずもないじゃないですか(笑)。

――社会そのものの反映、ということですね。

來田:そうです。だからといってスポーツ界はあきらめてしまうのか、ということかと思います。トレーニングやスポーツを通して自分を育み、他者を理解し、社会が作られていくのだから、自分自身が社会を構成する一員として自分自身が発言できる人を育てる、ということが大切です。スポーツが政治から独立していなければならないのは、まさにそれが理由だと私は思います。だから私たちは、モスクワオリンピックのときにJSPO(日本スポーツ協会。日本体育協会から2018年に改称)とJOCが分かれた経緯を忘れてはならないんです。

――モスクワオリンピックの際に大会のボイコットとして日本体育協会が日本選手団の不参加を決定したのは45年近くも前の出来事で、その際に選手たちが涙ながらに抗議したことを記憶しているのはおそらく壮年以上の世代です。現役の若いアスリートたちは、テレビの映像でチラッと見たことがあるかどうかといった程度のように思います。

來田:だから、教育が大切なんです。私は大学で体育・スポーツ史を教えていますが、モスクワオリンピックの時にJOCと日本体育協会が分かれたことを知っている学生はほとんどいません。そのような教育がなければ過去の出来事は忘れられて風化しがちなので、講義のなかでは「スポーツ界の独立にはどういう意味があるのか」ということを学生たちに考えてもらいます。ただ短期的に目の前の大会で勝てばいいという教育ではなく、スポーツを巡るこの国の知の体系全体を俯瞰して考えていくことが必要でしょうね。

後編〉〉〉「2年に1回の開催は、大会の意義を考えるいい機会にもなる」

【Profile】來田享子(らいた・きょうこ)/中京大学スポーツ科学部スポーツ教育学科教授。近代オリンピック史研究の第一人者。ジェンダーやスポーツの社会的環境などさまざまな観点から国内外の史料を分析・研究する。これまで、日本のスポーツ団体にも関わり、日本オリンピック委員会、日本スポーツ協会、NPO法人日本オリンピック・アカデミーで要職を務め、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会では理事を務めた。

プロフィール

  • 西村章

    西村章 (にしむらあきら)

    1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)、『スポーツウォッシング なぜ〈勇気と感動〉は利用されるのか』 (集英社新書)などがある。

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