【平成の名力士列伝:舞の海】知恵と技を駆使して「小よく大を制す」の魅力を知らしめた、空前の相撲ブームの立役者

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

舞の海は、知恵と技で倍以上の体重を誇る相手を撃破した photo by 時事通信舞の海は、知恵と技で倍以上の体重を誇る相手を撃破した photo by 時事通信この記事に関連する写真を見る

 平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

 そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、小兵から繰り出す多彩な技で多くのファンの心を掴んだ舞の海だ。

連載・平成の名力士列伝01:舞の海

【格闘技に「遊び」の要素を加えた取り組み】

 巨体がぶつかり合う迫力は、大相撲の何よりの醍醐味だ。だからこそ、「小よく大を制す」価値もまた高まる。

 貴乃花、若乃花、曙らが活躍した平成初期、その魅力を存分に味わわせてくれたのが舞の海だ。全盛期でも171センチ、101キロの小兵ながら、切れ味鋭い下手投げや内掛け、切り返しなど多彩な技を駆使して自分の倍以上ある体重の相手をなぎ倒す。そんな痛快な相撲で、空前の相撲ブームの立役者のひとりとなった。

 今も語り草の名勝負が、いくつもある。

 平成2(1990)年11月場所11日目、204センチ、198キロの曙(のち横綱)の懐に潜り込み、左内掛けにいきながら、右手で相手の左足を外側から抱え、頭で相手の左脇腹を押して巨体を引っ繰り返した。平成4(1992)年1月場所7日目の北勝鬨戦は、いきなり左上に高く飛び上がる、源義経の「八艘(はっそう)跳び」のような立ち合いで度肝を抜いた。平成6(1994)年7月場所2日目には、大関・貴ノ花(のち横綱)の懐に入って左を深く差し、右は浅く上手を取って頭をつけ、切り返しで鮮やかに裏返しにした。

 知恵と技を駆使して大きな相手を翻弄する姿は、夢中になって遊ぶ子どものようだった。「円から外に出るか、足の裏以外の部分が地面についたら負け」という相撲のルールは、格闘技のなかでもとりわけゲーム性が高く、相手をノックアウトしたり、痛めつけて「まいった」と言わせたりしなくても勝利をつかめる。「小よく大を制す」可能性が広がり、相撲に鬼ごっこやかくれんぼのような「遊び」に似た魅力を加え、老若男女が幅広く親しめる娯楽となる。舞の海は、その唯一無二の体現者として多くの人々の心をとらえた。

1 / 2

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

大相撲・尊富士フォトギャラリー

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る