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【平成の名力士列伝:舞の海】知恵と技を駆使して「小よく大を制す」の魅力を知らしめた、空前の相撲ブームの立役者 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【頭にシリコンの壮絶な経験を経て】

 一方で、舞の海の土俵人生には、遊びとは対極の凄惨な体験が刻まれている。

 日本大を卒業して受けた平成2(1990)年3月場所の新弟子検査で不合格。当時は、身長173センチ以上でなければ力士になれなかった。舞の海は170センチで明らかに満たしていなかったが、過去には黙認されて入門する例も少なくなかった。自分も大丈夫だろうと思って臨んだが、不合格。失意のなか再挑戦を決め、医師と相談して選んだのが、「頭にシリコンを入れる」という離れ業だった。

 頭皮の一部に切れ目を入れて頭蓋骨からはがし、管つきのビニール袋のようなものを入れ、再び頭皮をかぶせて縫い合わせる。その袋に、何回かに分けて管から少しずつ注射器で液体を入れてふくらませる。顔が引っ張られ、猛烈な痛みに襲われる。痛み止めを飲んでも、座薬を打っても効果はない。食べても戻してしまい、寝られない夜を過ごした朝、枕元は抜けた髪の毛だらけ。それが3日続き、ようやく痛みが治まった頃に、再び注射器で液体を入れる――。そんな離れ業の末に同年5月場所の新弟子検査に合格し、晴れて力士となったのだ。

 壮絶な経験は、舞の海自身に大きな変化をもたらした。

 実は、学生時代はここ一番で敗れることが多く、団体戦を自身の黒星で落とすことが何度もあった。明らかに実力が上の相手には、最初から勝負をあきらめ、淡々と負けるのが常だった。そんな弱さが、入門後は姿を消した。大一番を前にしても、緊張せず、自分の持てるものを出し切れるようになった。どんな強敵を相手にしても、勝てる手段はないかとことん考え抜いた。遊んでいる子供のような姿の裏には、そんな努力と工夫があった。

 舞の海の活躍は、相撲協会のルールも変えた。入門前に学生相撲などで実績があったり、運動能力が優れていたりすれば、身長や体重が基準を満たさなくても入門が認められることになった。2024年5月場所の新弟子検査に合格し、7月場所から序ノ口でデビューを果たす琴元村(佐渡ケ嶽部屋)は、舞の海よりさらに小さい160センチ、68キロ。しかし、シリコンなど入れなくても入門が認められた。小学生の頃から少年相撲で活躍し、舞の海二世としての活躍も期待される。

 壮絶な経験を経て多くの人々を熱狂させた舞の海の活躍は、時を超えて「小よく大を制す」大相撲の魅力を今につないでくれている。

【Profile】舞の海秀平(まいのうみ・しゅうへい)/昭和43(1968)年2月17日生まれ、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町出身/本名:長尾秀平/所属:出羽海部屋/初土俵:平成2(1990)年5月場所/引退場所:平成11(1999)年11月場所/最高位:小結

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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