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オリンピック史研究の第一人者・來田享子の指摘 大会の意義を総括しないメディアの責任と東京五輪後に見え始めたアスリートの変化 (3ページ目)

  • 西村 章●取材・文 text by Nishimura Akira

【日本で見え始めたポジティブな変化】

――いま指摘されたふたつのレガシーのなかで、アスリートたちがパンデミックを契機に社会との関わりを主体的に捉えて意識するようになったというお話ですが、現在も彼ら彼女たちのなかに、その意識が生きているでしょうか。

來田:たとえばこういう活動をご存知ですか?(『HEROs PLEDGE』)。スポーツ界から使い捨てのプラごみをなくそうという運動も、その一環なんですよ。今までだと「意識の高いアスリートはこういうことをやるよね」くらいの考え方だったかもしれませんが、選手や指導者を含めて草の根レベルから環境負荷の意識を育んでいく。価値観が変わっていくのに時間はかかるかもしれませんが、意識の変化はこういうところにも形になって表れています。

――環境問題は異論や摩擦が起こりにくいので、選手や競技団体も積極的に啓発活動を行なうと思うのですが、世界の紛争や社会問題への意見表明を避ける風潮は相変わらず強いようですし、選手をマネージメントする側もそういった質問を好まない傾向が根強い印象もあります。

來田:そうですね。意見をはっきり言う人は言うし言わない人は言わない、ということだろうとも思いますが、日本人はそもそも学校教育でそういうトレーニングを受けませんよね。19、20歳、あるいはそれ以上の年齢のアスリートたちでも、発言の仕方を学んでいないと思います。これはアスリートたちだけの現象ではなく、たとえば私が取材を受けた際には「どうして日本のメディアはこういうことを書かないのですか?」と記者さんたちに訊ねると「上司が書くなと言うので......」という返事が返ってきたり、「賛否両論で炎上するかもしれないことは書くのを控えよう」という判断が働いたりもするようです。大人の社会がそのような状態なのだから、「アスリートであるあなたたちはロールモデルだから、逆風を乗り越えて発言しなさい」なんて言えるわけがありませんよ。

 そんな状況のなかで、たとえ無難な環境啓発であったとしても活動を始めていることに、私は希望を見いだしたいです。アスリートたちが自分の主張をできるようになるまでに時間はかかるかもしれませんが、それは私たち大人が取り組んで変えていけなければならないことだと思います。

――そういったことも踏まえて今回のパリオリンピックを見ると、非常に象徴的な大会になるのではないかという気がします。環境問題という現代的なテーマ設定もさることながら、政治状況が不安定化し人々の価値観も移り変わっていく今の世の中にオリンピックはどう関わっていくことができるのか。いまご指摘があったように、日本のメディアがそれらの課題に対する取り組みを報道する意志を持っているのかどうか、という点では〈鶏と卵〉の問題なのかもしれませんが。

來田:そうですね。たとえばいくつかの競技団体は、トランスジェンダーの参加問題について真剣な取り組みを始めています。今までの日本だと「国際団体が動くまで待っていよう」「国際団体が決めたことに従いましょう」という姿勢でしたが、私が見る限りでは、国内競技団体の中には自分たちで考えて動きだそうとしているところがあります。結論はさまざまなのかもしれませんが、トランスジェンダーがトップレベル競技に参加できない状況が発生するのであれば、競技団体はそれが社会からの差別や排除につながらないよう、自分たちの行動で示す必要があります。国内の法整備が理解増進法にとどまり、差別禁止法がない現状では、より強く求められるべき対応です。共に参加できる競技会を考案するとか、差別や排除を起こさないためのハンドブックを作成して配布するとか、あるいは選手や指導者に教育・啓発をする、といったことですね。海外では多くみられるそうした活動に取り組む競技団体が国内でも出てくるようになったのは、東京オリンピックの際に大会の意義は何かという問いを突きつけられて考えさせられた競技団体からのフィードバックのひとつだと思います。

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