楢崎智亜「精神的にもきつくて...」東京五輪で4位と惜敗 「自分は本当に強いのか」と悩み苦しんだ (3ページ目)
「パリ、きついかも」から気持ちで押し切った世界選手権】
―東京五輪後は、どのように過ごしましたか?
「終わった直後は落ち込みました。周りがどうこうよりも、"自分が自分の期待に応えられなかった"というのが精神的にもきつくて。ずっと金メダルを取りたいと思って、トレーニングでも追い込んでいましたし...。でも、複合が(ボルダリング&リードの)2種目になって、ルールも面子も変わったり、周りの環境も変化したので、これは集中してやるだけって切り替えました」
―昨年の世界選手権で3位に入り、みごとパリ五輪出場権を獲得しましたが、直前の大会では苦しんでいたように見えました。
「どこかで"自分は本当に強いのか"って疑ったのか、去年は世界選手権前まできつかったです。前半の4、5月に優勝はしていたんですけど、調子自体は悪く、その後のヨーロッパ3連戦は全然うまくいかなくて。初めて"パリ、きついかも"って。ただ、すぐに世界選手権だったので、"これから強くなるのは無理だから、自分の理解度を上げていこう"って、最後は気持ちで押し切った感じです」
―女子クライマーの第一人者である野口啓代夫人からは、葛藤の中、どんな言葉を?
「厳しかったですよ(笑)。優しい言葉をもらうことはあんまりなくて、『やめたきゃやめれば』っていうスタイルで、『気にせず、目の前のことに集中しなさい』って。おかげで、世界選手権では切り替えられた部分もありました。啓代は、自分よりも歴戦の猛者なので(笑)。彼女が(現役時代に)強かったのは、彼女自身がいつも言っている"自分に負けない"ってところで。彼女は優しい言葉をかけてくれるというより、僕のことを気にして考えてくれているな、と感じます。僕が受けているトレーナーの先生のところにケアの方法を教わりに行ってくれたり、コロナ中は料理を習いに行って、グルテンフリーでおいしいパスタを作ってくれたりしました。そしてたまに練習を見に来て、お尻を叩いてくれます(笑)」
―東京五輪の時と比べると、娘さんも生まれて、家族が増えました。
「娘は0歳ですが、日々成長していて、家に帰るのが楽しいですね。昨日ジムに連れてきて、懸垂棒につかまらせたんですけど、まだ無理でした(笑)」
>>インタビュー後編「パリ五輪金メダルは『セッティング次第ですが、可能』」に続く
【Profile】楢崎智亜(ならざき・ともあ)
1996年6月22日生まれ、栃木県出身。10歳からクライミングをはじめ、2015年の高校卒業と同時にプロ・クライマーに。ボルダリング種目を得意としており、2016年にボルダリング種目で世界選手権初優勝。2019年の世界選手権ではボルダリング種目と複合種目で優勝。金メダルを期待された東京五輪では惜しくも4位。2024年パリ五輪で悲願のメダルを狙う。妻は女子クライミングの第一人者として知られる野口啓代さん。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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