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藤澤五月が語る「メガネ先輩」との戦い――「本当に珍しい」勝って涙が出てきた大会の思い出  (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro

 改めて振り返ってみると、この頃の中国代表のスキップは王氷玉(ワン・ビンユウ)さんという世界でもトップのカーラーで、もう少し世代が下になる韓国のキム選手や私よりも、一枚も二枚も上手でした。

 王さん率いるTeamChinaは、筋肉や体格がいわゆる「アスリート!」というより、身長もそこまで高くなく、私たちと同じような小柄なチームだったのですが、ソフトウエイトなどのスイープを使った繊細なショットがうまく、アジアチームでも世界で戦えるということを証明してくれたチームです。王さんがアジアで初めて世界選手権で優勝し、それを筆頭に、そこから韓国、そして私たち日本もオリンピックやグランドスラムなど、世界で活躍し始めることができたように感じます。

 残念ながら2018年で現役引退を表明して、今は中国国内でのカーリングの普及、発展に携わっていると聞いています。

 また、このPACCも2022年からはパン・コンチネンタル選手権(PCCC)へと拡大。第1回大会では、私たち日本代表(ロコ・ソラーレ)が優勝を飾ることができました。昨秋行なわれた第2回大会で頂点に立ったのは韓国代表で、キム・ウンジョン選手のチームではなく、今季絶好調のキム・ウンジ選手率いるチームでした。

 この10年でアジアの勢力図もだいぶ変わったなと思いますし、同時に私も随分と長くプレーしてきたんだなと実感しています。

【軽井沢アイスパーク完成と、なくなった思い出の場所】

 2012-2013シーズンは、ワールドツアー初優勝、PACC準優勝、日本選手権3連覇、世界選手権初出場と、充実したシーズンではありました。そしてその最後に、私にとっても、日本のカーリングにとっても、とても大きな出来事がありました。

 2013年3月、軽井沢アイスパークが完成したのです。

 通年型のカーリングホールとしては、日本最大の6シートを完備。私たち中部電力も、ホール完成後のこけら落としの大会として行なわれたエキシビションマッチに出場するなど、お祭りムードを味わいました。カーリング体験やオープン大会も始まり、実際に足を運んでくれたファンの方はご存知かと思いますが、2階の『ふれあいホール』などで開催されるイベントも増えました。

 ただ、新しいホームリンクができてうれしい気持ちと同時に、『スカップ軽井沢』がなくなった寂しさも感じていました。

 間違いなく10代後半の私がいちばん練習した場所であり、私を成長させてくれたアイスでもある『スカップ軽井沢』。鉄骨が張り巡らされたアーチ状の屋根も、ストーンが滑る時に響く大きな音も、大会の時に大会事務局や審判室として使った「金魚鉢」と呼ばれていた部屋も、本当に懐かしくて愛おしいです。

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