人気の女子ボートレーサー北村寧々が語る「運命の出会い」 なぜ命の危険もあるボートの世界に入ったのか (2ページ目)

  • キンマサタカ●取材・文 text by Kin Masataka
  • 栗山秀作●撮影 photo by Kuriyama Shusaku

 高3になると、将来の進路に頭を悩ませる時期がきた。バイト先の車屋さんの社長は父親の友人でもあったため、何でも気楽に相談できる間柄だった。ある日の社長が発した何気ないひと言が妙に頭に残ったという。

「『ボートレーサーなんて面白いんじゃない?』って言われて、すごく興味が湧いたんです」

 北村の地元から車で40分ほどの大村ボートレース場は、街の人にとって馴染み深い場所だ。だが、レーサーという職種はまったく選択肢になかったから、水面を高速で走るボートを乗りこなす自分の姿を思い浮かべるだけで興奮した。

「家族の反対は特になかったです。レーサーを目指したこともあったお父さんは女性が活躍しているのも知っていましたし、応援してくれました。お母さんはケガだけを心配してましたけど」

 昔からとにかく頑固で、「一度決めたことは決して曲げない子だった」というから、両親も反対する気は起きなかったのだろう。本格的にトレーニングを始めて、高校卒業後に養成所の試験を受けて一発合格。北村と同じ128期生は1000人近くが受けてわずか51人の合格。実に約20倍の狭き門だった。

【師匠に弟子入りして磨いた腕】

 1年間の養成所での訓練を経て、晴れてプロレーサーになった北村。51人いた128期生も卒業時には28名と、半数前後の脱落者を出していた。

 プロレーサーとしてキャリアをスタートするにあたり、ボートレーサーには所属先が必要で、自分で好きな支部を選ぶことができる。多くは自分の出身地周辺の支部に所属するのだが、北村も馴染みのある大村をホームにした。ここで出会ったのが"師匠"だった。

「宮本(夏樹)さんはデビュー戦1走目から一緒で、ずっとよくしてくださったので決めました」

 新人レーサーはデビューと同時に、師匠を見つける必要がある。意外かもしれないが、ボートレースは師弟制度が一般的で、新人レーサーは師匠に付いて教えてもらう。これは正式な制度ではないが、先輩レーサーにさまざまな面で指導を受けることになり、その関係は長く続く。

 師匠を選ぶのはレーサー自身だ。多くは自分の所属するボートレース場で、近しい人から選ぶという。北村が選んだのはA2級(上からA1、A2、B1、B2)の男子レーサー、宮本夏樹。端正なマスクに似合わない豪胆な走りで人気のレーサーだ。

「宮本さんの教え方はラフな感じですね。『あれをやれ』とかは言わないんです。『フライングだけはせず、あとは自分の思ったようにやりなさい』って」

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