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フォースからスキップへ――藤澤五月が「カーリングの戦術って奥深い!」と気づいた瞬間 (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro
  • 藤巻剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

 戦術というより、相手のショットに場当たり的に対応するショットを選ぶ感じで、相手の石を弾き出し、自分たちの石をハウス内のいい位置に残す。基本的にはその繰り返しだったと思います。ヒットゲームなんていう表現もありますが、石がハウスに溜まることは稀でした。

 スキップとして「もっと考えなくちゃな~」と思うきっかけになったのは、私にとって2回目の、2009年1月にバンクーバーで開催された世界ジュニア選手権でした。

【スキップという役割の本質を教えてくれた存在】

 カーリングではオリンピックの前年に、同じ会場でプレ大会として世界ジュニア選手権を開催しています。2010年のバンクーバー五輪には(本橋)麻里ちゃんや(石崎)琴美ちゃんがいたチーム青森が日本代表として出場していますが、当時ナショナルコーチだった晋くん(阿部晋也/コンサドーレ)が、五輪の視察も兼ねて世界ジュニアの日本代表にもコーチとして帯同してくれました。

 晋くんのことは、常呂の先輩ですから知ってはいましたが、ちゃんと話すのはその時が初めてでした。

 あとから晋くんに聞いた話では、ラウンドロビン(総当たりのリーグ戦)をコーチボックスから見ていて、私の場当たり的なカーリングについて「リアクションばかりで、技術はあるのにもったいない」と感じたそうです。と同時に、「充昌(父)さんが(コーチとして)いるから、スポット的なコーチの俺が口を出すのも違うかな」と考えていたとも言っていました。

 でもその際、コーチである父が晋くんに「ミーティングを晋也が進めてほしい」と頼んでいたと聞きました。その時、私はすでに中部電力へ入社することを決めていたので、それまでずっとコーチだった父が「この先は多くの人の指導を受けたほうがいい」と、おそらく感じていたのだと思います。

 大会はラウンドロビン敗退となってしまいましたが、プレーオフは晋くんと一緒に試合をスタンドから見て、コーナーガードをどう使うか、持ち時間についての考え方、ラウンドロビンとトーナメントでのアイスの変化などを話した記憶があります。

 あとは、ちょうど同時期にブライヤーと呼ばれるカナダ選手権が開催されていて、空き時間にそれも一緒にテレビ観戦しながら、いろいろ教えてもらいました。 

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