フォースからスキップへ――藤澤五月が「カーリングの戦術って奥深い!」と気づいた瞬間
連載『藤澤五月のスキップライフ』
6投目:スキップとしての目覚め
ロコ・ソラーレ藤澤五月の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』。今回は、スキップ本来の役割を知り、そのあるべき姿を明確に思い描けるようになった時のことを振り返る――。
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カーリングは「氷上のチェス」などと呼ばれるスポーツで、緻密な戦術が見どころのひとつです。特に最近は、試合をより面白くするために新ルールが導入されるなど、常に進化しているゲームでもあります。
私もスキップとして、ショットセレクションのオプションを増やしたり、他チームの試合を見たりと、研究を重ねる日々を送っています。
でも、実は「カーリングの戦術って奥深い!」と気づいたのは、高校時代から中部電力に入った前後、17歳から18歳の頃だったと思います。ジュニア時代は作戦を考えることより、ショットを決めることを重視していて、各エンドで残された自分のショットを決めるフォースとしての意識が強かった気がします。
改めて振り返ってみても、初めてジュニアの日本選手権で優勝した時も、そのシーズンに出場したジュニアの世界選手権でも、コーナーガードはおそらく置いていませんでした。センターガードくらいは使っていたはずなのですが、それはその後の展開を考えていたわけではなく、セオリーとして「ドローで。前で(短くなってガードになっても)いいよ」という指示ばかり出していた記憶があります。
世界ジュニアで優勝したイブ・ミュアヘッドさん率いるスコットランド代表あたりは、ひょっとしたらコーナーにもガードを置いていたかもしれませんが、当時の私には周りを見る余裕なんてありませんでした。自分たちが試合をしていない時に他のチーム同士の試合を見ても、「わ~、すごい上手~」って拍手する感じの、ただの観客でした。
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