ロコ・ソラーレ藤澤五月が初恋の相手を明かす。小学生の頃に抱いた「将来の夢」とは? (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro

 小学校6年生でやっと、ジュニアの日本選手権に初出場。すると今度は、「wish」という強いチームに、のちに中部電力でチームメイトになる(市川)美余ちゃんらがいたりして、振り返るとカーリングを通して私の世界は広がっていったんだなと思います。

 ただ一方で、私は結構人見知りなので、他のチームの選手と個人的に話すとか、そういうことはできませんでした。みんなと話せるようになったのは、それぞれチームメイトになってからですね。

夏はソフトテニス、冬はカーリングに熱中

 中学校に入ると、ソフトテニス部に入りました。

 ソフトボールも好きだったので、ソフトボール部とどちらにするか迷ったのですが、もともと家族でやっていたソフトテニスを選びました。

 ただ、今でもソフトボールや野球は大好きなのですが、投げるのはあまり得意ではないんです。その後の人生で、プロ野球の始球式のマウンドに立つなんてことがあるのを想像もしてなかったので、「ソフトボール、やっておいてもよかったかな~」とちょっとだけ思っています(笑)。

 もちろん、ソフトテニス部は楽しかったですし、今もたまにやりたくなることがあります。ペアの選手とのコミュニケーションが重要でしたし、自分たちを鼓舞するために、いい時も悪い時もめっちゃ声を出していました。

 基本的にはダブルスだったのですが、年に一度くらいシングルスの大会もあって、その時は助けてくれるペアがいないので、全責任が自分にある、負けても言い訳ができない、他人に頼れない、といった楽しくも難しい状況を経験できてよかったなと思います。

 学校の成績は、中の中から中の下くらいだったのかな。

 ただ、中学校に入ると、しっかり日程の組まれた、成績に直結するテストが始まるじゃないですか。いわば、あの人生初のテストがすごく怖かった印象があります。

 結果的にはコツコツ努力するお兄ちゃんと、勉強してなさそうなのに成績のいいお姉ちゃんからの情報を頼りにうまく乗り越えることができたので、それ以来、要領よくテストをこなしてきました。こういうのも「末っ子だなあ、私」と自覚しています。

 だから、基本的に中学時代は、夏はソフトテニス部、冬はカーリングに熱中していました。よく「カーリング、飽きないの?」と聞かれますが、私の学生時代には通年のリンクがなくて冬しかカーリングはできなかったので、結果的にはバランスがよかったような気がします。今みたいに通年リンクがいくつもあったら、どうなっていたかは自分でもわかりません。

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