廣瀬俊朗と伊藤華英が感じる生理と部活動の課題。「卓越性がすごく求められ辞めざるをえない意識になっている」 (3ページ目)

  • text by Sportiva
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

伊藤 水泳は、人数がそろわなくてもできますよ(笑)。今はチームスポーツで、一つの学校で人数がそろわないと他校との合同チームになったりしていますが、今後は学校対抗の文化にも限界が出てきそうですね。

廣瀬 そうですね。全国高校ラグビーでは、地域によっては合同チームの出場が認められていますが、全国大会に合同チームは出られないんですよね。あとは新型コロナウイルスの感染拡大も大きかったですね。ラグビーは接触スポーツですので、それで敬遠されたのかもしれません。なにより学校での直接的な勧誘も難しくなりましたよね。

――かたや女子ラグビーの人口が増えています。2015年に3,569人だったのが、21年に5,174人と45%増となっています。どんな要因が考えられますか。

伊藤 もともと女子ラグビーの人口は少なかったので、これはいい傾向ですよね。

廣瀬 理由として考えられるのは、昔は親がラグビー好きだから子供にやって欲しいということで始めていましたが、今は女子選手を見て「私もやりたい」という女の子が増えてきていると思います。始める動機が変わってきていますよね。15人制ではなくて7人制(セブンズ)の国内大会もあるので、これから少しずつ増えていくと思いますよ。

(後編に続く)

【Profile】
廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)
1981年10月17日生まれ、大阪府出身。元ラグビー日本代表。ポジションはウイング、スタンドオフ。5歳からラグビーを始め中学まで吹田ラグビースクールに所属。北野高校へ進学し、高校時代には高校日本代表に選出されキャプテンを任される。慶應大学のラグビー部でも4年時にキャプテンを務める。2004年から東芝ブレイブルーパスに所属。07年に日本代表に選出され、12年から2年間、キャプテンに就任。2016年に現役を引退。東芝のコーチを務めたのち、(株)HiRAKU を設立。現在は一般社団法人スポーツを止めるな共同代表理事、特定非営利活動法人One Rugby理事長などを務める。

伊藤華英(いとう・はなえ)
1985年1月18日生まれ、埼玉県出身。元競泳選手。2000年、15歳で日本選手権に出場。2006年に200m背泳ぎで日本新、2008年に100m背泳ぎでも日本新を樹立した。同年の北京五輪に出場し、100m背泳ぎで8位入賞。続くロンドン五輪では自由形の選手として出場し、400mと800mのリレーでともに入賞した。2012年10月に現役を引退。その後、早稲田大学スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科に通い、順天堂大学大学院スポーツ健康科学部博士号を取得した。現、全日本柔道連盟ブランディング戦略推進特別委員会副委員長、日本卓球協会理事。

■インスタで「スポーツと生理」の教材を配信
伊藤華英さんがリーダーを務める「1252プロジェクト」。これは女子学生アスリートを中心に、10代の若者が抱える「スポーツと生理」にまつわる課題に対し、トップアスリートの経験や医学的知見をもって、情報発信をしているプロジェクト。その一環として、インスタグラムで手軽に学べる「スポーツと生理」の次世代型オンライン教材『1252 Playbook』を配信中。
Instagram:1252project>>

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