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金メダリスト橋本大輝が語った東京五輪の裏話。個人総合前夜は「体力・精神もきつく」ネガティブな感情だった (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 チームとして目標にしていたのは団体金メダルだった。結果は銀メダルに終わったが、橋本は「やりきった感がすごくあった」と話す。そのため、中1日で行なわれた個人総合に向けては、「体力的にも精神的にもきつく、明日試合をやるのか」とネガティブな気持ちになったという。それでも、いざ試合になると集中でき、目標の金メダルに向けて「たぶんいけるだろう」と前向きになった。

 心と体の準備ができていたからこそ、予選で内村航平がミスをして決勝進出を逃したことにも動揺しなかった。

「僕も代表選考会の最初の試合では3回ミスをしてしまいましたが、体操はふだんの試合から何が起きるかわからない。五輪はもっとそういう(予想できない)ことが起きる場所だと考えていたし、内村さんのミスに影響されて僕らが団体で全然ダメだったら僕ら的にも内村さん的にも悔しいので。僕らは集中して、内村さんからいろいろアドバイスされたことを生かしてやっていくしかないとの思いでした。

 自分として本当にやりきれたと思うのは、団体決勝の最後の鉄棒でした。鉄棒は一番失敗しやすい種目だけど、僕のなかでは自信があって。あの時は僕の演技にメダルの色がかかっていて、失敗すれば銅で成功すれば金か銀という状況だったけど、記録よりも記憶に残る演技をしようと決めていた。だから最後はメダルの色は関係なく、やってきたことのすべてを出しきる気持ちで挑み、本当に完璧な演技ができたと思います。それが五輪の一番の成果だったし、他の選手も自分の役割を果たして18演技をつなげることができた。金メダルは逃したけれど、それだけ準備してきた練習の成果を出せた試合だったと思います」

 橋本は高校3年の時、19年世界選手権に出場しているが、そこからの進化は目覚ましいものがある。各種目のDスコア(技の難度点)の6種目合計は、世界選手権時点では34点台だった。だが、20年全日本選手権では35.8点にし、21年4月の全日本選手権では世界トップレベルの36.6点まで上げた。19年世界選手権で、Dスコア36.4点の合計88.772点で優勝していたニキータ・ナゴルスキー(ロシア)に肉薄する合計88.532点を出すまでになっていたのだ。

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