補欠登録で「僕は、必要なのか?」と苦悩も。宇山賢が振り返るフェンシング男子エペ団体の金メダル (4ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi
  • photo by AP/AFLO

――ROCとの決勝戦を迎えるまではどう過ごしましたか?

「僕は個人的に、ROCのパベル・スーホフ選手とセルゲイ・ビダ選手を苦手にしていました。特にスーホフ選手は、個人戦でも何度も跳ね返されていたので、過去の試合映像を見ながらシミュレーションを繰り返していました。

 僕が得意としているディフェンスで得点をとられる場面が続くと、成す術がなくなってしまう。映像を見ながら『ポイントを見極めて、状況に応じて前に出る』と決意し、試合に臨みました」

――第3試合でそのスーホフ選手と対戦(5-6)し、一時はリードを奪うなど、見せ場を作りましたね。

「僕がアタックを決めたあと、スーホフ選手との距離間が変わる場面があり、やりづらそうにしている印象がありました。試合前の対策が功を奏したからかなと思います。もちろん試合中は必死に戦いましたけど、相性の悪い相手に大差をつけられなかったのはよかったです」

――ニキータ・グラズコフ選手との第7試合(6−4)で宇山さん個人の試合は終わりましたが、その時の気持ちを教えてください。

「今年1月に右手首を手術したこともあって、1年3カ月ぶりに出場した団体戦が東京五輪でした。決勝の第7試合を終えた時には、『何とか形になってよかった』という安堵感、そして『自分の信じた道を進んで、結果が残せてよかった』という思いが込み上げてきました」

――チームは4点差で最後の第9試合を迎えます。加納虹輝(こうき)選手の戦いをどう見ていましたか?

「(相手の)ビダ選手の実力であれば、4点差がひっくり返される可能性もあると思っていたので、余裕はありませんでしたね。最初は『大丈夫かな?』と不安もありましたが、序盤から積極的に前に出る加納選手に、ビダ選手が焦る様子もあった。『これは、イケるんじゃないかな?』と思いました。

 そして加納選手が43点目をとった時に、『もしかして、勝ったらヤバいことになるんじゃ?』と(笑)。チラリと頭をよぎりました」

 その後、45-36で勝利を収めた日本代表は、フェンシングとしては史上初の金メダルを獲得。宇山選手の予想した「フィーバー」は、現実のものとなった。

(後編:「スポーツへの風当たりが強い状況は残っている」>>)

■宇山賢(うやま・さとる)
1991年12月10日生まれ。香川県出身。中学校からフェンシングを始め、高松北高校2年時にインターハイ優勝。同志社大学に進んでからは全日本学生選手権で史上初の3連覇を果たし、4年時には全日本選手権でも優勝した。2015年8月に三菱電機に入社し、2018年のアジア競技大会のエペ団体で優勝。東京五輪ではリザーブでの登録ながら、1回戦から決勝まで出場を続けて金メダル獲得に貢献した。公式ツイッター>>@satofen1210

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