蒼国来を相撲人生の絶頂からどん底へ突き落とした「ある事件」 (2ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 でも、話の意味はわかるんですけど、自分からは話せない。「コップ」とかの単語は言えるんだけど、主語と述語をつなげることが難しかったですね。

 それと、食事にも苦労しました。内モンゴルでは、毎日白いゴハンを食べるという習慣がなかったので、昼も夜も毎日、白飯が出てくる相撲部屋の食事はキツかったなぁ......。最初のうちは、白飯に好物のヨーグルトをかけてガーッとかきこんでいました。

 その頃、荒汐部屋には、1歳上の兄弟子と私しか力士がいませんでした。親方、おかみさん、兄弟子が一丸となって、私を相撲の世界に馴染ませようと力を貸してくれました。部屋の雰囲気がファミリーのようだったのも、私にとっては幸運でした。

 2003年九州場所(11月場所)、初土俵からふた場所目ですが、序ノ口で私は全勝優勝。相撲の技もほとんどわからず、レスリング時代の技を駆使して勝っていたという感じでした。

 翌2004年初場所(1月場所)、序二段に番付を上げた私は、一番相撲で上腕を骨折して休場。続く春場所(3月場所)では序二段で全勝したのですが、優勝決定戦で敗れてしまいました。以降、三段目は3場所で通過して、九州場所では幕下に昇進します。

 大相撲の世界では、博多帯が締められる幕下昇進はひとつの区切りでもあります。初土俵から1年。相撲というより、レスリングや他のスポーツで身につけた力で上がった感じではありましたが、それなりに早い昇進だったと思います。

 私には、レスリング部の監督と交わした約束がありました。

「1年間がんばって、ダメだったら戻ってきてもいいぞ」

 この約束があったから、1年間、私は必死で相撲をがんばることができました。それが、幕下昇進という結果に結びついたんです。

 新幕下の九州場所では負け越してしまいましたが、年末、私は内モンゴルに帰りました。といっても、実家に帰ったわけじゃないんです。1年半前、「がんばれ!」と送り出してくれたレスリング部の監督のところに行って、きちんと挨拶したいと思ったのです。

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