蒼国来が語る、内モンゴルから角界入りした17年前の「運命の日」 (3ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 もちろんその時、私は荒汐親方のことを知りません。あとから聞いた話ですが、格闘家の山本"KID"徳郁さん(故人)のお父さん(山本郁榮氏=レスリング指導者)と、荒汐親方が友人で、たまたま「モンゴルから横綱出たねぇ」というような話をしていたところ、「モンゴルだけじゃなくて、内モンゴルというところにも運動神経のいい子たちがいますよ」と、山本さんが言ったそうなんです。

 それで、親方が「ぜひ内モンゴルに行ってみたい」と、ウチの学校に視察に来たというわけです。

 親方は、レスリング部、柔道部などを回って選手たちを観察していました。その中から、体のガッチリしている選手3人ほどに目をつけたらしいです。ところが、その人たちは年齢が23~24歳で、大相撲の入門規定(23歳未満)にひっかかってしまい、入門できないことがわかったのです。

 レスリング部としては、せっかく日本から親方が来てくれたので、部を代表して誰かを大相撲の世界に行かせたいという希望があったようです。そこで、監督、先輩方が話し合いをして、選ばれたのが私だったんです。

中国の内モンゴル自治区出身、初の関取となった蒼国来中国の内モンゴル自治区出身、初の関取となった蒼国来 正直、断れるような雰囲気じゃなかったですね(笑)。「どうしようかな?」と迷っていた私に、監督がこんな条件をつけてくれました。

「エンクー(私の本名)、このままレスリングをやっていっても、いい成績を残せるだろうけど、(一度)大相撲に行ってがんばってみたらどうだ? その代わり、1年間がんばってダメだったら、学校に戻ってきて、レスリングをやれる環境を保証するから」

 そこまで言われて、うれしかったですね。

「たとえダメでも帰ってこられる。だったら、行ってみようかな?」

 すごく軽い気持ちで、「ハイ、わかりました」と言ってしまいました(笑)。

 そんな私の決断に、一番ビックリしたのは、田舎の両親です。

「オレ、日本に行くことになったから」

 当時自宅には電話がなくて、隣に住んでいるお爺ちゃんの家に電話をしたんですが、「相撲って、何? ちょっと待てよ」みたいな感じで、家族中が混乱していましたね。

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