日本の「お家芸」4×100mリレー。世界を驚かせたリオ五輪の舞台裏 (2ページ目)
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さらにチームに大きな火をつけたのは、桐生祥秀だった。高校3年だった13年の織田記念予選で、世界ジュニア記録(当時)に並ぶ10秒01を出し、決勝では追い風2.7mの参考記録ながら、山縣を0秒01抑える10秒03で優勝したのだ。
桐生、山縣のふたりがライバル意識を持って高め合う一方で、ロンドン五輪で200mに出場していた高瀬慧(けい)は、14年アジア大会100mで3位になると、15年には100mで10秒09、200mも日本歴代2位の20秒14を出していた。
さらに、09年世界選手権出場の藤光謙司も15年に200mで20秒13をマークし、世界選手権では高瀬とともに準決勝進出。中堅層も伸び、戦力に厚みが出てきていた。
桐生と山縣が10秒0台を連発する中、16年には、ケンブリッジ飛鳥が10秒10まで記録を伸ばし、6月の日本選手権でそのふたりを抑えて優勝。また、飯塚も日本選手権200mで20秒11を出して存在感をアピール。五輪代表6名は20歳の桐生から30歳の藤光まで、100mと200mに3人ずつ送り込むという充実した状況だった。
ところが、リオ五輪の個人成績は100m準決勝で10秒05の自己新を出した山縣以外は納得のいかない結果に終わった。桐生は自分の走りができずに予選落ち。ケンブリッジは予選こそ好調だったが、準決勝は隣のジャスティン・ガトリン(アメリカ)の好スタートに圧倒され最初から最後まで硬い走りとなってタイムを落とした。200mは3選手とも予選敗退だった。
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