2018.02.06

冬季オリンピック史に残る「不可解な判定」。
日本を襲った不運の連鎖

  • photo by Kyodo News

短期連載・五輪記者オリヤマの追憶 ソルトレイクシティ(2002年)

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 過去最多の10個のメダルを獲得した長野五輪から4年。アメリカのソルトレイクシティで行なわれた五輪で日本のメダルはわずか2個に終わった。取材から帰ってきた際に「なんの取材に行ってたの?」と知人に聞かれたくらい、日本人にとって”寂しい五輪”になった。

ショートトラック1000m準決勝を、1位でゴールしたと思われた寺尾悟だが...... 表彰台に上ったのは、スピードスケート男子500mで銀メダルを獲得した清水宏保と女子モーグルで銅メダルを獲得した里谷多英。ともに長野五輪の金メダリストである2人が日本選手団を救ったと言えるが、特に清水には”心の強さ”を見せてもらった。

 2大会連続の金メダルを期待されていた清水だったが、大会直前の交通事故で腰を痛めていた。大会後に聞いた話では、かがんで靴下を履くこともできない最悪な状態だったという。

 それでもレース本番は、ライバルのジェレミー・ウォザースプーン(カナダ)が転倒するアクシデントがあったとはいえ、清水自身はケガの影響を感じさせない見事なスケーティングを披露した。1位になった選手の1本目が、明らかなフライングだったことが見逃されて金メダルは逃したが、その精神力は「素晴らしい」の一言に尽きる。

 ただ、清水、里谷以外の日本人選手が軒並み苦しい結果に終わったのは、長野五輪までとの強化費の差が影響したように思える。自国開催の五輪に向けて投入されていた多額の強化費が縮小され、たとえば飛行機は予約変更がきかない安いチケットになるなど、冬季競技に欠かせない海外遠征を万全な状態でこなすことが難しくなっていた。

 1999年くらいまで日本が圧倒的に強かったスキージャンプも、スキーの長さが規制されてから成績が低迷する。それまで「身長+80cm」のスキー板の使用が許されていたが、飛び過ぎを防ぐ狙いから「身長の146%」へと変更され、「小柄な選手が多い日本人に不利なルール改正」とも言われた。