トレイルランナー鏑木毅、50歳の挑戦に
松田丈志はなぜ共鳴したのか (3ページ目)
そのなかで相対的な目標を語ることは、最も周囲にわかりやすく目標を伝える手段だ。しかし、相対的な目標を達成することと自分の充実感がイコールとは限らない。
鏑木さんは相対的な評価はすべて切り離したうえで、今回の挑戦を公言した。では、何を目指して走るのか。
私は「ゴール後どんな気持ちでいられたら納得できるんですか」と聞いた。
鏑木選手の答えは「自分の全てを出し切って、灰のようになれたら」。
鏑木選手のすべてのベクトルは、自分の方へ向いているんだと感じた。そこには鏑木選手が今回のチャレンジで一番伝えたいメッセージが込められている。
それは「挑戦はいつからでもスタートしていいんだよ」ということだ。
鏑木選手もランナーとしてのピークはとっくに過ぎていると自覚している。自分に伸びしろがたくさんあるなんて思ってない。でも、挑戦する。
50歳という年齢で、自分の老いも受け止め、それをわかった上で、社会に対してあえてUTMB挑戦を公言し、自分の退路を断った。自身の身体の老化に対して徹底的に抗(あらが)っていくつもりなのだ。
それは周りとも、過去の自分とも違う、年齢を重ね衰えていく自分の体との戦いだ。それは2年後の未来の自分との戦いともいえる。
そんな自身の挑戦を通して、「誰でも、いつからでも挑戦はスタートしていいんだよ」と伝えたいのだ。
「挑戦する」意味が欲しい
私もそんなことを思ったことがある。
私はオリンピックの金メダルをずっと追いかけてきた。最も近づいた瞬間はロンドンオリンピックの200mバタフライ決勝だ。金メダルまで0.25秒。銅メダルだった。
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