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フィギュア解説で町田樹が気になる「演技の世界観」という表現 「空虚で形骸化した言葉になっている」 (2ページ目)

  • 了戒美子●取材・文 text by Yoshiko Ryokai

 もうひとつは、時間がないから『世界観』という言葉で終わらせても、視聴者には実際に何が演技を通して表現されたのか伝わっていないということです。言葉が空転している。切り詰めすぎて、空虚で形骸化した言葉になってしまっているんです。

 それを、なるべく少ない言葉で、実のある言葉に変換するのが、解説者の仕事だと思っています。私は演技を分析し、プログラムの表現性に関する一言評を事前に準備しています。選手が立ち、音楽が始まる瞬間に、5秒とか7秒の尺で伝える。視聴者はその観点で演技を見られますし、その後の大技の解説にも影響しません。五輪では全選手について準備しました」

── そこには、研究者としての視点も入っているのでしょうか。

「もちろんです。私はフィギュアスケートを芸術学の観点から研究しています。舞台芸術論として分析すると何が言えるか、表現論としてどう語れるか。そこに、研究者の眼差しが入っています。

 スポーツ科学は実学なので、現場に知が還元されて初めて意味をなします。論文を書いて終わりではなく、どう社会にその知を役立てるか──までがセットの学問だと思っています。私は研究し、論文を書き、その知見を活用しながら解説者として現場で仕事をしています。ですから、研究者として解説者を務めている感覚です。

 今、私の一番大きなアイデンティティは研究者です。ただ、そのかたわらで解説者やダンサー、振付家としても活動しているのは、研究成果を現場に還元したいからです。論文ではないアウトプットの仕方も常に模索しています。一方、実際に現場へ出ることで業界の問題点が見える。それを持ち帰って研究し、成果をまた現場に返す。この循環によって、私の研究活動は成り立っています」

── 現役時代、スポーツの解説についてはどう思っていましたか。現役アスリートはOBによる解説を煙たく感じることもある、と聞きます。

「いろいろ思うことはありましたよ。でも、実況や解説が不要だと思ったことは一度もありません。スポーツは直感で楽しむものだとよく言われますが、文脈がわからなければ、その現象の意味はわからない。少なくとも競技規則を知らなければ、そもそも文脈を読み取ることはできません。スポーツというのは、実のところ非常に読解するのが難しい文化だと思っています。

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