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羽生結弦「悲しみや傷との付き合い方を理解しながら前に進んできた」 『notte stellata』で示した震災を伝え続ける決意 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

【演技から感じさせた震災を伝える決意】

「忘れることはできない」「忘れてはいけない」と心のなかにとどめている震災への気持ち。それと共通する"思いの連続性"のようなものを第2部で、ジェイソン・ブラウンが『鏡の中の鏡』で見せた。そして、羽生が最後に演じたのは再び東北ユースオーケストラとコラボレーションする『八重の桜』だった。

「(競技現役時代に)『天と地と』をフリースケーティングの最後のプログラムとして選んでいたので、その続きとして『八重の桜』を演じたいという気持ちがありました。『天と地と』を滑り終わり、僕自身がこのステージに立って、どういうふうにこれからの人生を生きていきたいか、そして最終的に僕がスケーターとして氷の上や皆さんの人生の轍のなかに何かを残してこられたのかなというようなイメージで、最後に一つひとつ思い出を置いていくみたいな気持ちでつくりました」

 咲き始める桜への思いを込めた、穏やかな流れのある滑りのなかに感じさせる生命。そして満開の桜の下で幸せを感じるような、優しさを漂わせる演技でアイスショーを締めくくった。

「東北ユースオーケストラのなかでも、震災後に生まれた方もいるし、震災当時はまだ幼くて記憶がないという方もいます。でも坂本龍一さんが募ってくれたおかげで、彼らはきっと復興や震災のことを考えて過ごしていると思います。それと同じで僕も当時16歳でしたが、いろいろな記事などを書いていただいたりするなかで、伝えるべき立場として頑張らなければいけない使命を帯びたような気がしました。

 東日本大震災後に災害が起きた地域にも行きましたが、やっぱりあの震災があったから防災の意識が変わり、守られた命や守られた生活もあると思いました。僕らも当時を知っている人間だからこそ、世代はどんどん若くなっていき新しい街も"芽吹く"けれど、『こんなことがあったからこういうふうに守ることを学んだんだよ』ということは伝え続けていきたいなと思います」

 心のなかに刻み込まれた震災への思いを伝え続ける決意。それが見る者の心へ静かに染み込んでくるようなアイスショーだった。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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