宇野昌磨「大きなミスをするとあやしいな」 世界フィギュア連覇を生んだとっさの判断とは? (3ページ目)
●大会連覇で「恩返しできた」
本番ではSP、フリーともに集中し、足首の痛みは感じずに演技ができたという。
「不安はもちろんありました。もし足が治ったとしても、コンディションが全然よくならなかったので、どちらにしても不安はあったんです。
ただ、フリーの朝の公式練習や演技前の6分間練習では、ともに『できる』というイメージは持てた。ただ、曲かけのプログラムのなかではできていなかったから、それが試合でどうなるかというのを考えながらやっていました。
だからけっこう地に足がつかないような演技だったかなと思いますけど、いい演技だったし、いい結果だったと思います」
こう話す宇野のフリーの滑りは、技術点はマリニンとチャに次ぐ3番目の103.13点。演技構成点では抜群の滑りをしたブラウンに次ぐ2番目の93.38点。今季のセカンドベストの196・51点で1位の得点だった。
SPとフリーの合計もグランプリ(GP)ファイナルに続いて300点台に乗せる301.14点で、2位のチャに5点以上の差をつけて、日本勢では前日の坂本花織(シスメックス)に次ぐ大会連覇を果たした。
演技終了後には、氷の上に大の字になったまま寝そべった宇野。
「演技を終えて本当にホッとしたというか、久しぶりに練習以上を出さなければいけないという気持ちだったので、ホッとしました」
「もう一回やったら絶対に無理だなという演技をショート、フリーともにできたと思います。演技としてはまだまだやれたかもしれませんけど、今何ができるかと言われたら、本当にこれ以上はできないと言いきれる演技だった。
そしてどんな内容でも結果というものが、僕を支えてくださった人たちへの恩返しになると思います」
最初に足首をねんざしたのは2週間前。それからジャンプが狂い始め、競技開始前日に宇野は「本当にひどい状態。練習で20%くらいしか跳べていないジャンプを、試合でどういうふうにできるか、ちょっと興味本位で見ていただけたらと思います」と自虐的な言葉を口にするほどだった。
しかし、そんななかでもしっかり勝利を収められたのは、彼のこれまでの経験の積み重ねであり、勝利だけを意識した彼の執念が、他の選手より勝っていたからだろう。
宇野にとってこの勝利は、自信のキャリアのなかでも大きな区切りになるものになる。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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