三原舞依「こういう時こそ自分の底力を」。五輪落選の「どん底」からはい上がり、全日本フィギュアで見せた感謝の舞い (3ページ目)

  • 小宮良之●取材・文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

【この瞬間を自分は待っていたんだ】

 12月24日、フリースケーティングは『恋は魔術師』で大人の女性を演じている。

「足が重たくて。歩いていても、何もないところでつまずきそうになるほどで。これは、やばいなって」

 三原はそう茶化したが、力を振りしぼれる動機はあった。

「今日は、一番上の座席までお客さまが入ってくれていて。自分の名前がコールされた時、今まで見たことがない数のバナーが振られていました。その時、この瞬間を自分は待っていたんだって思って。絶対にいい演技をしたいって思いました」

 すべての力を出しきれる。彼女の才能だろう。それは苦しくなった時、より一層強く稼働した。

「(セカンドに3回転トーループをつける予定だった)1本目のルッツが単発になってしまって。そこで火がついたというか。後半が勝負だと思って」

 三原はそう振り返るが、エレメンツに一つひとつ集中しながら、後半に真価を見せる。2本目のルッツのセカンドに予定を変更し、3回転トーループを持ってきた一方、最後のループに2回転トーループ、2回転ループをつけた。機転も利かせ、満点のリカバリーだった。

 フリーは145.23点で2位。スピン、ステップはまたもすべてレベル4だった。その精度は、たゆまぬ練習の賜物だろう。合計219.93点は2位で逆転優勝こそならなかったが、GPファイナルの時よりも質は上がっていた。

「GPファイナルでは、最後のループをミスしてしまったのが悔しくて。同じクラブで練習している友達に『今回は絶対に跳ぶから!』って言っていました。だから跳べてよかったです。(北京五輪出場を逃した)昨季ほどのどん底はもうないと思うから、自分のなかでいいほうに考えて、細かいところまで意識して滑ることができました」

 三原は氷の上で大きく、頼もしく映った。それは魔術だったのか。そう錯覚させるほどだった。

「自分が前に進むことができたのは、たくさんの人のおかげなので、その感謝を少しでも伝えられたらって」

 彼女は身を削るように滑り、ファンに元気を与え、その感謝を受け止め、力をもらって再び演技で恩を返す。その繰り返しで、力を身につけてきた。幸せな構図だ。

「6年前(全日本選手権3位)は、あまり覚えていなくて。今回、全日本のメダルを首にかけてもらって、ずっしり重くて。わっという感じでした」

 それは彼女だけの感触だ。

【著者プロフィール】
小宮良之 こみや・よしゆき 
スポーツライター。1972年、横浜生まれ。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。

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