本田真凜「昔の自分で、今の自分にプレッシャーをかけないように」。8度目の全日本で初のSP落ちに明かした心中 (2ページ目)
【「天才の典型」】
2019年、筆者は本田のインタビューをしている。
彼女は不思議な気配をまとっていた。可憐で和やかにも映る一方、凜とした頑固さも残し、幼いのにほのかな色気を漂わせる。本性が見えない危うさこそ、「スター性」とも捉えられた。
選手キャリアの分岐点にあったのもあるだろう。胸中に抱える葛藤さえも、魅力のように映った。
2016年の世界ジュニア選手権、本田は華々しく優勝を果たしている。2017年の世界ジュニアも五輪女王となるアリーナ・ザギトワとしのぎを削り、「ジュニア史上ふたりだけの200点超え」でパーソナルベストをつくった。
2018年の平昌五輪を次の年に控えて、ジュニアながら全日本選手権で4位に輝いていた。人気は急上昇し、大手スポンサーが食いつき、スポーツ雑誌の表紙も堂々と飾った
ところがシニア1年目で挑んだ2017−2018シーズン、嘘のように失速し、全日本は7位で五輪出場も逃した。2018−2019シーズン、アメリカを拠点にした2年目も散々で、全日本は15位に低迷している。
ーー本田真凜の理想像がパズルのピースになっているとすれば、どのような状態か?
そう聞いた時、彼女はこう答えていた。
「ちょっとずつ組み立てたのが、まだバラバラって感じです。今までは、考えてスケートをすることがなくて。小さい時は感覚で何でもできるのがあったんです。でも、それはもうできなくて。普段の生活から、一つひとつ考えて行動するように心がけています。おかげで前年より(ピースが)そろってきている感じで。粘り強く頑張りたいです」
彼女はそこからも苦心惨憺(さんたん)だった。調子が戻ってきたら、遠征先でタクシーに後ろから追突されたこともある。そのたび、ピースは弾け飛んでいった。
「いいときも悪い時も、自分はすぐに過去のことになっちゃう。ショート、フリーの切り替えの部分ではいいですけど(苦笑)。もうちょっと、自分のなかに何か残したい」
彼女の言葉は真に迫っていた。誤解を恐れずに言えば、天才の典型だった。11歳にして5種類の3回転を習得し、音楽が鳴ったら即興で滑ることができた。感覚だけで、大概のことはできてしまったのだ。
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