鍵山優真を育てた振付師・佐藤操が振り返る少年時代。合言葉は「誰よりも頑張ろう」 (2ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha
  • 能登直/JMPA●撮影 photo by Noto Sunao/JMPA

転機となったユース五輪

――幼少の頃からすでにオリンピック出場への未来予想図が描かれていたのですね。

「北京オリンピックを目指す前に目標にしたのが2020年のユースオリンピック代表でした。この大会は年齢制限があるので、優真にとってこのチャンスを逃すと2回目はない。出場枠が1なので、そこを目指すということは2019年の全日本ジュニア選手権で優勝しなければいけなかった。優真自身は『オリンピックという名のつくところに自分が出場することが、次の北京オリンピックにつながると思うから、どうしてもここは逃せられないと思っている』と話していました」

――優勝したユースオリンピックはどんな大会でしたか?

「ジュニアグランプリでさんざん戦ってきた、知った顔のメンバーばかりだったので、ライバルが点数をどれぐらい出すかも、どれぐらい上手なのかも、よくわかっていました。だから、それこそ一歩も引けない状態ではいましたし、ここで思いきりやらなかったら次はない、みたいな話をしました。

 もうひとつ、開催地がたまたまローザンヌ(スイス)で、そこにオリンピックミュージアムがあるんです。トレーニングの合間に『せっかくだからちょっと行ってみようか』という話になりました。そこにはウィンタースポーツを中心にいろんなものが展示されていて、スイスだからステファン・ランビエルの衣装などが飾ってあって、優真は熱心に見ていました。

 オリンピック歴代のメダルが展示されているコーナーでは、『あっ、お父さんが行ったのはこの年だ』と言ってアルベールビルのメダルを見て、『かっこいいな』とか、ずっと言っているんです。『優真もメダルをもらったら、こうやって名前が出たりするんじゃないの』と言ったら、『オリンピックに出る価値があることが今日よくわかった』と言ってました。

『ここは記念グッズを買うしかない』などと言って、ふたりでさんざんいろいろなものを見て回って、『よし、これで北京が見えてきた』なんて言ってました。その時点では(私には)全然見えてなかったんですけど(笑)。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る