宇野昌磨が臨戦態勢。苦難を乗り越え、
コーチの重みを知ったシーズン (2ページ目)
「(ランビエルコーチのいる)スイスは(人が)あったかいところで。(島田)高志郎くんもデニス(・ヴァシリエフス)も真面目で、一生懸命スケートに向き合うタイプなので、僕も影響されるというか。やることはやるけど、優しさもあって。自分が求めていた環境だと思います。(練習は)プログラムを最低でも1回は通して、できないところを復習して、たまに細かくステップやスピン。ひとりではやれない練習ができているな、と思います。(自身の)GPシリーズ第2戦から、ようやくシーズンをスタートすることができました」
彼はコーチの重みを思い知った。それは、苦難の日々があったからこそ、だろう。
ただ、彼の本質は変わらない。
宇野は、自分の生き方に対して我が強く、強情とも言える。象徴的なのが、昨年の全日本選手権だろう。ショート、フリーをどちらも、歩行がままならないような右足首捻挫を押して戦った。少しも甘えず、鮮烈な優勝を飾ったのだ。
「6分間練習は、あまりに何もできず、笑っていました。ただ、ケガをしたことで、つらい、悲しいという気持ちを出しても、誰も得はしない。これはやるしかないって思えて。そこまで追い込まれた時、初めて本当に自分を信じられたのかもしれません」
宇野は全日本が終わったあと、その心境を明かしていた。
まさに、鬼気迫る演技だった。痛みを振り払うようなジャンプで、見事に着氷した。プログラムも、1ミリも妥協していない。たとえばフリップは右足の負担が強いため、より軽いサルコウに変える選択肢もあったが、ほんの少しも逃げなかった。
「自分が治る、と思えば必ず治る、と信じていました」
後ろ手を組んで言った彼は、ふんわりとした外見とは裏腹に、古武士のように硬骨だった。その頑固さが、彼に火事場の力を授けたのか。リンクの上では、自分自身の命を燃やすような激しさで頂点に立った。
―なぜ、そこまで滑りたいの?
心配したコーチに問われた時、彼は即答したという。
「これが僕の生き方なので」
勝負の鬼の影を感じさせた。
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