日本ボクシング世界王者列伝:三浦隆司 リングに刻んだ「ボンバーレフト」の鮮烈な記憶一本気な男が追求した強さと変化 (2ページ目)
【新しい環境で攻防ともども大きく開花した】
三浦を支えたのは、その一本気な性格にほかならない。2025年に99歳で天寿を全うされた長野ハル・帝拳ジムマネージャーが「三浦はね、一番早くジムに来て、一番遅くまでずっと練習しているの」と話していたことを思い出す。その圧倒的な練習量こそが、このボクサーを強くさせた一因なのは間違いない。あるいは、三浦本人から「強くなるためには肉が必要」とキャリアの序盤は「毎日、牛丼ばかり食べていました」というエピソードも聞いた。格闘技、なかでも極北にあるボクシング。本人が信じたものこそ、成し遂げるための最強のツールである。
新しい環境で、次第に変化の兆しが見え始める。それまでは最強武器である左ストレートにこだわるあまり、一本調子になってしまうこともままあった。負けん気むき出しで、いいパンチを食らうと、守りがおろそかになったまま打ち合うこともある。「とにかく敵をぶん殴る」的な三浦のそんな戦い方に、幅が見えるようになってきたのである。
2013年、帝拳ジムの同僚、粟生隆宏からベルトを奪っていったWBC世界スーパーフェザー級チャンピオン、ガマリエル・ディアス(メキシコ)を4度もキャンバスに叩きつけて9ラウンドTKO勝ちし、ついに世界の頂に立った。メキシコで行なった初防衛戦では、これまた果敢な好戦型、セルヒオ・トンプソンと派手に倒し合って判定勝ちを収める。三浦のパワーファイトの本領がもっとしっかりとした形になり始めたのは、この後だった。
メキシカンばかりを相手に防衛戦を続け、さらに2度のTKO勝ちを重ねるのだが、左のパンチにさまざまな角度ができてきた。ストレートに加え、アッパーカット、時にはワイルドなオーバーハンド。一瞬の隙に意外な角度から拳をねじ込むことも。それまで、ほとんど"つなぎ"に過ぎなかった右フック、アッパーをも決定打に加えた強力なコンビネーション攻撃が生まれた。
ボディブローも多彩になった。加えて、頭や上体をわずかに揺らせるディフェンスも向上した。横浜国際プールで行なった3度目の防衛戦(2014年11月)、エドガル・プエルタ(メキシコ)を鋭いアタックでレフェリーストップに追い込んだ戦いを見て、「この三浦なら層の厚い中量級でも、海外リングで飛躍できるのではないか」と多くのファンが感づいたはずだ。
2015年5月、ティーンエイジャーの頃から注目を集めたビリー・ディブ(オーストラリア=元IBF世界フェザー級チャンピオン)の身軽な動きに浮かんだ苦戦の予感を、3ラウンド、連打からの左ストレートであっという間に打ち消した。この一戦は、三浦の生涯24のノックアウトのなかでも、おそらくベストのものだった。
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