【プロレス】藤原喜明が辿る「旅館破壊事件」の記憶 殴り合った前田日明と武藤敬司の翌朝のやりとりを明かす (3ページ目)
【長州らの復帰で影が薄くなっていったUWF勢】
その乱闘の影響で、武藤は翌1月24日の飯塚市体育館大会と、25日の北九州市若松体育館大会を欠場した。
「武藤は坂口さんに『試合やりたいです。出してください』ってお願いしてたよ。だけど坂口さんは冷静に『お前、その顔でリングに上がったって、お客さんは、お前が誰だかわからないよ』って諭してたな。それぐらい武藤の顔は腫れてたんだ。
みんな本当の話だよ。さっきも言ったけど、殴り合いは俺たちプロレスラーにとってコミュニケーション。殴られてイチイチ腹を立ててたら商売にならない。だから、あの時も本気で怒ってるヤツなんていなかったよ」
旅館破壊事件が起きた1987年は、新日本が激変した年でもあった。全日本プロレスに参戦していた長州力ら「ジャパンプロレス」勢が、5月に新日本へ復帰することが決まったのだ。ただ、復帰に反対する選手もいたため、「ジャパンプロレス」は、谷津嘉章、永源遙ら全日本に残留した選手と長州、小林邦昭ら新日本への復帰組と分裂し解散。この余波で、アニマル浜口が引退する事態も起きた。
長州の復帰で、UWF勢の存在感はさらに薄くなった。代わってリング上で主導権を握った長州は、6月12日の両国国技館大会のメインイベントで猪木がマサ斎藤を破った直後にリングに駆け上がり、世代闘争をアピールした。猪木や斎藤らの世代と、長州や藤波辰巳(現・辰爾)、前田ら新世代が激突する抗争を仕掛けたのだ。
藤原は、年齢やキャリアでいえば長州や藤波と同世代だったにもかかわらず、この世代闘争では猪木の世代のほうに組み込まれた。
「世代闘争? そんなこともあったな......。『俺が猪木さんと同じ世代って何なんだ?』って思ってたけど、どうでもよかったし興味はなかったよ」
その世代闘争は、秋ごろに急速に収束していき自然消滅する。すると猪木は、10月4日に山口県の巌流島で斎藤との無観客試合を敢行し、ファンやマスコミの注目を集めて存在感を示した。
世代闘争や巌流島を経て、ますますUWFの影は薄くなっていった。そんな時、今度はリング上で事件が起きる。前田が長州の顔面を蹴り、眼窩底骨折させたのだ。
(敬称略)
つづく
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