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【ボクシング】佐々木尽は「倒され役」から再び「倒し役」に トレーナーと一緒に夢を叶えるため、次戦は東京ドームに立つ (3ページ目)

  • 会津泰成●取材・文 text by Yasunari Aizu

相手を左フックで沈めた2月の復帰戦 photo by Naoki Fukuda相手を左フックで沈めた2月の復帰戦 photo by Naoki Fukudaこの記事に関連する写真を見る

「尽が世界チャンピオンになるストーリーは、そのまま、私の人生のストーリーに被ります」

 40年前、廣隆は、育ち盛りの息子3人を抱えながら、生活のための仕事を辞めた。ボクシング業界に戻り、「トレーナーとして生きる」と決めた時、みんなから反対されても、笑顔で背中を押してくれたのは、妻だった。

「そのほうが、貴方らしいかもね」

 相談した時、妻はあっけらかんと笑顔で答えた。

 今、妻は難病と向き合っている。

 残された時間は限られた。

 自分にできる、唯一の恩返し。大勢のボクサーを指導し、日本、東洋など数々のチャンピオンを輩出しながらも果たせていない、「世界チャンピオン」を育てる夢。それを叶えること。40年前、「ボクシングに生きる」と決めた自分のわがままを受け入れ、人生すべてを懸けて支えてくれた妻の覚悟は、間違いではなかった。廣隆は、証明したかった。

 尽は、おそらく廣隆にとって、ともに世界を目指す最後の弟子。

 そんな思いや覚悟は、3人の息子、尽にも打ち明けず、戦い続けていた。

 穏やかに、淡々と、「焦ることはない、大丈夫だから」と言いながら――。

 試合翌日――。

 尽は休む間もなく、廣隆の長男・一生(いっせい)会長とともにアメリカ・ラスベガスへと旅立った。現地で1カ月に及ぶ合宿に入る。日本では手合わせすることすら叶わない、世界基準のウェルター級の猛者がひしめくボクシングの本場で、実戦感覚を研ぎ澄ますためだ。

 廣隆は一週間後、一生会長と入れ替わる形で現地へと向かう。

 羽田空港まで向かう足で、妻を介護保険施設に預ける。帰国後は同じく、八王子に戻る途中で迎えにいく段取りも整えた。

 八王子中屋ジムの壁には、主の戻りを待つ赤いジャンパーが、静かにかけられたままだった。

 34年という歳月を吸い込み、色褪せた戦友。

 裏地を張替えたり、擦り切れた袖、抜けたポケットの補修をしてくれたのも、妻だった。

 帰国後、廣隆はジムに戻れば、すぐに袖を通す。

 そして......。

 尽の24戦目は、2026年5月2日。東京ドームに決まった。

著者プロフィール

  • 会津泰成

    会津泰成 (あいず やすなり)

    1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサー入社。プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継担当。99年に退社しライターに。第10回Numberスポーツノンフィクション新人賞受賞。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

【写真】日本人未踏、ウェルター級世界王者を目指す佐々木尽

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