【格闘技】朝倉海は長所を磨くべきか、短所を埋めるべきか 川尻達也が自身の経験を踏まえて語る海外での戦い方 (2ページ目)
――川尻さんが海外で闘っていて大変だったことは?
「一番は『全然思い通りにいかない』ということでしたね。僕の場合、日本では主に『DREAM』に出てましたが、日本だとある程度ルーティンが決まっているんです。前々日は公式会見、前日は公式計量と公開計量、当日は入り時間や尿検査、バンテージチェック、ドクターチェック......と流れが決まっていて、それに慣れていた。でも、僕にとって初めての海外での試合、2011年のStrikeforceでは、段取りどおりにはいかなかったです」
――Strikeforceの世界ライト級タイトルマッチ、ギルバート・メレンデス戦ですね(2011年4月9日)。
「そう。食事ひとつとっても思い通りにならないんです。例えば、アメリカに着いて『ちょっと買い物に行こう』と思っても、ホテルから遠くて車がないと行けない。そんな不便な環境のなかでメレンデス戦をやって、『海外ってこういうものなんだ』と思い知らされました」
【日本でやっていたルーティンやジンクスも全部捨てた】
――その後、UFCに挑まれた時はどうだったんですか?
「もう、全部あきらめていました(笑)。試合さえ成立すればいい。それだけを考えていました」
――具体的には、どのように対応していたのでしょうか。
「水以外の食べものは全部日本から持っていきました。ごはんや餅、あんこ、サムゲタンのレトルトも。部屋での食事とトレーニングルームでの練習、すべてホテルの中で完結できるよう準備していました。
スケジュールが多少狂っても、『まあいいや、ケージに入れさえすれば100点』と切り替えて、他のことはいっさい気にせずに。英語もしゃべれないのでマネジメントのシュウさん(シュウ・ヒラタ氏)に任せて、言われたことだけを淡々とこなしていました」
――その環境で減量して、コンディションを作るのは大変だったのでは?
「開き直っていましたからね。ホテルに風呂がないことも多いので、サウナスーツと縄跳びだけは必ず持参してました。部屋を暖房で暑くして縄跳びすれば、最悪、水抜きもできる。どんな環境でも『オール・オッケー! なんとかなる!』と自分に言い聞かせていました。日本でやっていたルーティンやジンクスも全部捨てましたよ」
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