中谷潤人がアメリカのマイナス面にショック 元ヘビー級王者の境遇に痛感する「ボクシングに打ち込める場所」があることの幸せ (4ページ目)
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"ピーク"という時期がないまま、45歳までリングに上がった元チャンピオンは告げた。
「俺みたいな思いは絶対にさせちゃダメだ。27歳なんて、ボクサーとして一番いい時だぜ。俺にとっては絶望の日々だったけれど」
ティムの言葉を受けた中谷は、元世界ヘビー級チャンピオンに感謝を伝えながら語った。
「当時のティムは、ボクシングを楽しめていなかったでしょうね。そんな状況下で、力を発揮できるはずがありません。薬物に逃げてしまった過去があっても、人間味を感じます。
僕は、15歳でアメリカに来てから、どんどんボクシングにのめり込んでいきましたし、今もそうです。喜びを感じながら練習しています。1年前より今年、昨日より今日のほうが、ボクシングが好きだな、という毎日です。誰と一緒にやっていくか、そこが大きなポイントになるんだと、教わった気がしますね」
ティムはその後、ドン・キングを訴え、法廷で決着をつけるべく闘う。自身の評判が下がることを恐れたキングは、執拗なプレッシャーをかけた。使用済みの薬莢(やっきょう)を送りつけ、「示談に応じないなら命を奪う」なる脅迫を繰り返した。
中谷は呟いた。
「それもアメリカの一部なのでしょう......。ティムはもったいなかったですね。才能を開花させられなかった代償は、ものすごく大きいです。僕には、ボクシングに打ち込める場所があります。だからこそ、丁寧に向き合わなければと、あらためて感じますね。リングで自分の生き方を見せたいです」
(第4回:中谷潤人が元世界ヘビー級王者と訪れたモハメド・アリのライバル「ジョー・フレージャー」像を前に「僕も、そんなレベルのチャンピオンになりたい」>>)
著者プロフィール
林壮一 (はやし・そういち)
1969年生まれ。ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するもケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。ネバダ州立大学リノ校、東京大学大学院情報学環教育部にてジャーナリズムを学ぶ。アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(以上、光文社電子書籍)、『神様のリング』『進め! サムライブルー 世の中への扉』『ほめて伸ばすコーチング』(以上、講談社)などがある。
【写真】中谷潤人がティム・ウィザスプーンと巡る、映画『ロッキー』の地フィラデルフィア
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