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佐竹雅昭が語った武蔵との試合で「ピンとこなかった」理由 「自分とは格闘家として辿ってきた道が違う」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

 K-1ができたばかりの頃は、僕もそこまで権利に詳しくなくてK-1事務局がグッズなどを販売していましたけど、僕のところには一銭も入ってこなかったんです。『それはおかしいだろう』ということで、自分の版権は自分で守るために怪獣王国を立ち上げた面もあった。そういうこともあって、いい雰囲気じゃないのはわかるし、そういったことが嫌になってきていた時期でしたね」

 武蔵との再戦となったのが、1999年10月のK-1グランプリ開幕戦。その試合での不可解なジャッジが、佐竹にある決断をさせることになる。

(第20回:K-1を「やめよう」と思った武蔵とのラストマッチ 負けても人生は「勝ちに持っていくことができる」>>)

【プロフィール】

佐竹雅昭(さたけ・まさあき)

1965年8月17日生まれ、大阪府吹田市出身。中学時代に空手家を志し、高校入学と同時に正道会館に入門。大学時代から全日本空手道選手権を通算4度制覇。ヨーロッパ全土、タイ、オーストラリア、アメリカへ武者修行し、そこで世界各国の格闘技、武術を学ぶ。1993年、格闘技イベント「K-1」の旗揚げに関わり、選手としても活躍する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組などでも活動。2003年に「総合打撃道」という新武道を掲げ、京都府京都市に佐竹道場を構え総長を務める。2007年、京都の企業・会社・医院など、経営者を対象に「平成武師道」という人間活動学塾を立ち上げ、各地で講演を行なう。

【写真】女優・ラウンドガール・格闘家の「三刀流」 宮原華音フォトギャラリー

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