東京女子プロレス 荒井優希【中編】試合後、私がボロボロになりリングを降りようとしたら、アジャさんが近づいてきて「またやろうな」って (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi
  • 後野順也●撮影 photo by Ushirono Junya

【両国国技館でのSKE48のライブは最高の思い出に】

――その試合で上福選手に勝利して2度目の防衛に成功しました。激しい戦いでしたが、殴り合ったり、蹴り合ったりすることを「怖い」と感じたことはありますか?

荒井 ないです。もちろんデビュー前に人を殴ったことはないです(笑)。

――毎回、練習するのに名古屋から上京するのでしょうか?

荒井 そうです。最初は週1回、朝5時に起きて東京に新幹線で移動、9時から昼まで練習していました。ただ途中から自分の不甲斐なさを感じ、練習の回数を増やして合同練習にも参加させてもらっています。

――3.31両国大会ではSKE48のライブも行なわれましたね。

荒井 東京女子プロレスの名古屋大会でSKE48のライブを披露させていただくことはありましたが、東京の両国国技館という大きな会場でSKE48を呼んでいただきライブができたことは、素直に嬉しかったです。

 名古屋だとSKE48のファンの方がたくさん来てくださいます。でも、両国大会は東京女子プロレスにとってビッグマッチです。(そこでライブを披露することに)不安もあったのですが、プロレスファンの方に「ライブ、初めて観たけどよかったよ」と声をかけていただき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 またこの日、SKE48のメンバーで、東京女子プロレスのゲスト解説を担当している谷(真理佳)さんがSKE48としての活動最終日でした。それで(谷さんに)事前に連絡し、「私は一緒にリングでライブしたいけど、いいですか?」と確認しました。

――それはどうしてですか?

荒井 「最後は劇場で終わりたい」というメンバーもいます。でも私は、谷さんと一緒に両国のリングで歌いたかったんです。これまで谷さんがゲスト解説している時、谷さんはライブで歌うことはできませんでした。どうしても着替えやメイクの時間が必要になりますから。

 両国大会では、谷さんが初めてゲスト解説とライブの両方に出られるようにスタッフの方にスケジュール調整していただきました。最後の最後で谷さんと同じリングで歌うことができて、最高の思い出ができました。スタッフの皆さんと東京女子プロレスのみんな、そしてファンの方には感謝しかありません。

――荒井さんは2021年5月4日にデビュー、キャリア4年目に入りました。正直3年以上もレスラーを続けると思っていましたか?

荒井 思ってなかったです。最初始めた時、「2021年12月末までは続けてほしい」って言われたんです。無理だとしても、「年末までは頑張ってやろう」と思っていたくらいで。

――それが、いつ継続しようと決意したのですか?

荒井 それがものすごく早くて、デビューの2カ月後には決めていました。

――何かきっかけがあったのでしょうか?

荒井 デビューした時に、周りのスタッフやファンの方から「タイトルに挑戦してほしい」「ベルト姿を見たい」「プロレス大賞新人賞を獲得してほしい」と、いろいろな話を耳にしました。

 でも、「12月までに皆さんの期待を形にすることは絶対にできない」と、デビュー2戦目で気づいたんです。それに私の性格上、やり始めたことを途中で辞めることはできません。ですから2021年の夏頃には、「もう少しプロレスを続けたい」と周りに話しました。プロレスラーとして「みんなが見たいものを見せたい」と覚悟を決めたんです。

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