レースクイーンもグラビアも素行の悪さで仕事なし→上福ゆきが東京女子プロレスに入るまで (4ページ目)
友だちがたくさんできた。上福のことを「醤油女」「寿司ガール」と馬鹿にしていた子も、日本に帰国する日にケーキを作ってきてくれた。上福に向かって1セントを投げてきた子も、「もう会えないかもしれない」とハグしてきた。
「終わりよければすべてよし。許さねえ奴もいますけど(笑)。当時はめっちゃ辛かったけど、いろんなものを見すぎたし、感じすぎたので、今となっては大抵のことでは動じなくなりました」
【巣鴨のスターになったことで、大学のミスコン2位に】
高校3年生の途中、日本に帰国することにしたのは「日本のJKをやりたかった」から。父には「大学に行きたいから帰して」と嘘をついた。日本の高校に編入したが、大学に行く気はなく、父に「109の店員になりたい」と言ったら、初めて怒られた。仕方なく帰国子女枠で東洋大学英語コミュニケーション学科を受験し、合格。英語が好きだったわけではないが、一番ラクだろうと考えたのだ。
大学に入っても勉強はせず、サークルにも入らなかった。西麻布や六本木のバーでアルバイトをし、夜な夜な飲み歩く"港区女子"生活を送った。3年生の時、「お父さんにたくさんお金を出してもらっているのに、大学でいい思い出がひとつもない」と思っていたところに、大学のミスコンの話が舞い込む。思い出作りで出てみることにした。
結果は、準ミス。「サークルの組織票がないのに、すごいですね」と私が言うと、「組織票なんですよ」と笑う。
「当時、巣鴨に住んでたんですけど、スロットとパチンコが大好きで、スロットを打ってたら隣のおばあちゃんが目押し(回転しているリールを無作為に止めるのではなく、対象の絵柄を狙ってリールを止めること)できなくて、ゆきが代わりに目押ししてあげてたんです。それ以降、街でちょっと有名になり、ミスコン当日も巣鴨のおじいちゃんやおばあちゃんたちが会場にめっちゃ来てくれた。"巣鴨票"のお陰で、2位になりました」
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