馳浩が仕掛けたグレート・ムタ戦での布石に、ケンコバは「なんてすごい流れなんや!」 引退したムタの功績も振り返った (2ページ目)
――その通りですね。ケンコバさんは、グレート・ムタがマット界に刻んだ功績はどこにあると思っていますか?
「絶大な影響力です。ファンだけでなく、数多くのレスラーにも影響を与えています。例えば、派生キャラの数。グレート・ニタ(大仁田厚)や、グレート・ボノ(曙太郎)......魔流不死(まるふじ/丸藤正道)を派生キャラとしていいのかはわかりませんが、ムタが "化身キャラ"を確立したがゆえですからね」
――ただ、ムタの"父親"であるザ・グレート・カブキさんは別格として、他の化身キャラは不発に終わった例が多かったように思います。
「結局、そこは武藤敬司という天才の"華"が成せる業だったんでしょうね。ムタは、あの小川直也とも異種格闘技戦(1997年8月10日、ナゴヤドーム)を成立させたんですから。あの小川戦も異様な試合でしたよ」
――WCWでの初登場から、今年1月22日に横浜アリーナで行なわれたラストマッチで魔界に帰還するまで、ムタはさまざまなドラマを見せてくれましたね。
「時代ごとにいろんな姿を見せてくれましたが......俺は『素ムタ』が好きでした」
――『素ムタ』とは?
「本当に初期で、入場コスチュームも甲冑などをつける前の、ニンジャマスク時代のグレート・ムタのことです。俺はこれを素のムタ、『素ムタ』と呼んでいるんですよ。あの頃は、馳戦のように試合中によくペイントが剥がれていましたけど、あれが逆によくて。
俺の記憶では、(リングアナウンサーの田中)ケロちゃんが入場で『グレート・ムタ見参』とアナウンスするようになってから、コスチュームで骸骨や龍などを背負い、派手に出てくるようになったんじゃないかと。そのあたりから、プロレスファン全員がムタを好きになっていくんですが、俺は派手になる前が好きなんです。今のファンたちにもその素晴らしさがわかるように、素のムタの活躍を集めたDVDを出してほしいですね」
――それは見たいですね! 絶大な人気を誇ったムタですが、初めて登場した当時は、アントニオ猪木さんが築き、ストロングスタイルを標榜してきた新日本プロレスでは異質なキャラクターだったと思います。純度100パーセントのアメリカンプロレスを新日のマットに持ち込んだ存在でした。
「それについては、俺も武藤さんと蝶野(正洋)さんに聞いたことがあるんです。すると、2人とも『それが一番わかってない』と言うんですよ。そして、『猪木さんが一番アメリカンプロレスだよ』と。
俺もその言葉の真意をはかりかねているところがあるんですが、レスラーから見たらそうかもしれないですね。猪木さんも、ムタのような狂気を身にまとっていましたから。しかもペイントなしで」
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