方向音痴がキッカケで世界王者へ 晝田瑞希は女子0人のボクシング部に「本当に入るとは考えていなかった」 (4ページ目)

  • 篠崎貴浩●取材・文 text by Shinozaki Takahiro
  • 田中亘●撮影photo by Tanaka Wataru

【「1勝1敗の女」がオリンピックを目指すまで】

――女子部員がひとりだと、スパーリングなどはどうするんですか?

「男子部員とはマススパー(対面の実戦形式でパンチを相手に当てない、もしくは軽く触れるか当てる程度で行なう)などをやっていましたね。でも、みんなライト級以上でしたし、強く打ってくることも多かったので毎日泣きながらやっていました。女子とのスパーは、近くの高校のボクシング部にいた子や、たまに遠征合宿で他県に行った時にやるくらいでした」

――過酷な環境ですが、辞めようとは思わなかったんですか?

「幼い時からやっていた機械体操で毎日練習する習慣が染みついていたのと、負けず嫌いなので、『中途半端で辞めるのは嫌だ』という思いもあって続けられたんだと思います」

――当時の目標は?

「私が在学中はインターハイの競技になっていなかったので(2016年から正式な競技ではない「公開競技」として実施)、年に1回の全日本女子ボクシング選手権大会を目指していました。先生には、その全日本で『優勝したい』と口では言っていたんですけど、実際は『3位以内に入れたらいいかな』くらいの感じでした」

――晝田選手の視界に、オリンピックが入ってきたのはいつ頃からですか?

「周囲からは、早くから『オリンピック行けるよ』って言われてたんですが、全日本の壁が厚かったんです。高校の時は、1勝した次の試合で負ける"1勝1敗の女"だったんです(笑)。2015年に自衛隊体育学校に入って初めて出場した全日本も1勝1敗。その時は『もう辞めようかな』と思っていましたし、オリンピックは遠い存在で意識することもありませんでした。

 ただ、自衛隊で出会った恩師のコーチのおかげで、2016年に初めて全日本の決勝まで上がることができて。その時、初めて本気で『全日本で優勝したい。もっと高いところまで行けるかもしれない』と思うようになったんです」

***

 そうして東京五輪を目指すことになった晝田の前に立ちはだかったのは、のちに金メダルを獲得する入江聖奈だった。

(後編:「オリンピックを目指すのは時間がもったいない」入江聖奈に敗れ東京五輪出場ならず→プロボクサーに 新しい夢はアメリカの大舞台>>)

【プロフィール】
晝田瑞希 (ひるた・みずき)

1996年4月12日、岡山県岡山市生まれ。現WBO女子スーパーフライ級王者。身長163cmのサウスポー。岡山工業高等学校でボクシングを始め、卒業後は自衛隊体育学校に進学。全日本女子選手権はフライ級 (2018年)、フェザー級 (2019年)で優勝。東京五輪出場を目指したが最終選考で入江聖奈に敗れた。2021年3月に自衛隊を除隊し、三迫ジムに入門。 同年5月にプロテストに合格し、10月にプロデビュー。2022年12月のプロ4戦目で世界タイトルを手にした。アマチュア成績は45戦29勝(13KO/RSC)16敗。プロ成績は4戦4勝。

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