「恵子、プロになれ」試合出場を却下され続けた女性ボクサーを勇気づけた盲目の指導者の言葉「ずっと誰かに言ってほしくて」
元ボクサー・小笠原恵子 インタビュー後編
映画『ケイコ 目を澄ませて』(12月16日公開)のモデルとなった元プロボクサー・小笠原恵子さんへのインタビュー。前編では映画の話や、ボクシングと出会うまでの道のりを聞いた。後編では、映画で描かれなかったプロデビューまでの10年と、引退後の10年、そして現在の恵子さんについて聞いていく。
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元プロボクサーの小笠原恵子さんこの記事に関連する写真を見る ろう学校を卒業後、歯科技工士として働きながらジムに通い続けた小笠原恵子さん。ボクシングを始めて6年後、27歳の時に「実力を試してみたい」と試合出場を望んだ。しかし、「健康上の条件を満たしていない」として、主催者が却下。その悔しさが、恵子さんの心に火を点けた。
「『試合に出たい』とジムの会長に言っても、『聞こえないから無理』の一点張り。もめて、ジムもボクシングもやめてしまいました。そして入門したのが、格闘技道場。キックボクシングと新空手を始めたら、キックは公式試合に出られたんです」
キックボクシングで4戦4勝した恵子さんは、パンチ力を強化したいと、新たなボクシングジムを探した。そうして出会ったのが、多くの日本チャンピオンを輩出した「トクホン真闘ボクシングジム」(以下、真闘ジム)だった。
現在はボクシングの指導も行なっているこの記事に関連する写真を見る
【「恵子、プロになれ!」30歳でこじ開けたプロの扉】
2009年7月、荒川区の住宅街にある真闘ジムを訪れた時、扉を開けて迎えてくれた坊主頭にメガネの男性が、佐々木隆雄会長だった。恵子さんが、耳が聞こえないことを伝えると、会長は「私、目が見えないの」とゆっくり口を動かしたという。
「目が見えないのにボクシングを教えているなんて、すごい人だなって。一瞬で、『この人についていきたい』と思いました」
仕事のあとに真闘ジムへ通うようになると、会長はボクシングだけでなく、あいさつから生き方まで指導。「恵子、もっと積極的に明るくなりなさい」「恵子、笑ってごらん」と熱く語りかけられたという。
そして入会から4カ月後、会長やトレーナーの口から、思わぬ言葉が飛び出した。
<恵子、プロになれ>
「ボクシングを始めて10年、ずっと誰かに言ってほしくて、言ってもらえなかった言葉。うれしくて、帰り道に涙が出ました」
プロテストを受け、見事合格。2010年7月27日、デビュー戦を迎えた。
「リングへの階段を上がる時は、怖かったです。だけどロープをくぐったら、そこは静かな世界。一気に攻めて勝利した時は、人生でも最高にうれしい瞬間でした」
1ラウンド54秒、レフェリーストップでのTKO勝利。涙を流しながらリングをあとにした。
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