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柔道・髙藤直寿の頭の中にあった五輪攻略本。金メダル獲得へ「その通りに動けば絶対負けない」 (2ページ目)

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu
  • photo by JMPA

 決勝戦の後、髙藤は畳を下りる直前、正座をし、頭を下げた。感謝のお辞儀だったのだろう。共に戦ってきた古根川実コーチに、ずっと練習相手を務めてくれた先輩の伊丹直喜さんに、そして、応援してくれた家族やみんなに。畳を下りると、古根川コーチ、伊丹さんと抱き合って号泣したのだった。

 2013年、世界選手権を20 歳で制したあと、東京五輪開催が決まった。その日の朝、テレビで見た瞬間、髙藤は「これは俺の時代の到来だな」と思ったそうだ。

 でも、その行程はいばらの道だった。リオ五輪では、銅メダルに終わった。この5年間は、その雪辱を果たすことがすべてだった。即ち、東京五輪での金メダル奪取だ。

"やんちゃ"だった髙藤が変わった。"練習の虫"となった。その成長の結果としての優勝に、井上康生・日本代表監督は「髙藤らしい、髙藤にしかできない柔道を見せてくれた」と言って、涙を流した。

 髙藤の家のリビングには、2つのメダルが飾ってあるそうだ。1つは、リオ五輪の銅メダル。もうひとつが、所属するパーク24の五輪金メダリスト、吉田秀彦総監督から五輪延期が決まった1年前に贈られた手作りの金メダルである。「本当だったら、今日、金メダルだから」と言われて。

 吉田総監督もまた、この日、テレビのゲスト出演で、うれし涙を流した。「あいつがずっと、苦労してきたのを知っている。紙で作った金メダルがホンモノに変わってよかった」としみじみと漏らし、こうも言った。

「入社した時は"やんちゃ坊主"でね。リオで負けてから、柔道も人間性も大人になったなと思います」

 試合後のミックスゾーン。髙藤選手は記者の質問を受けながら、ずっと胸に下げた金メダルを両手で触っていた。「金メダル、どうですか?」と質問されると、「重たいです。とにかく重たいです」と言葉に実感をこめた。

 最後、どこに飾りますか?と聞かれると、金メダリストは最高の笑顔を浮かべた。

「(家の)銅メダルの前に置いてやろうと思います。ええ、上に重ねて」

 年輪のごとく、リオ五輪があればこそ、である。夢の金メダルは、鍛え、信じ、考え、挑み続ける気概の結果、とうとう獲得できた現実なのだった。

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