岩谷麻優は自称・プロレス向きの変態「相手の技を自分が一番派手に受けてやるって」 (2ページ目)
――ひどい(笑)。話は戻るんですが、上京する時に不安はなかったんですか?
「まったくなかったです。失うものがなさすぎて。このまま引きこもっていても、仕事もない、将来の夢もない、生きてる意味もない、誰にも必要とされてない。『東京に行ってワンチャン殺されても、別にいいや』と。地元にいても、死んだらどうせ一緒だし。だったら、やらんよりはいいかなと思って」
――ワンチャン殺されても......。デビュー当時、「ポンコツ」と言われながらも、売店人気は断トツでトップだったんですよね?
「デビューした日からすごかったです。みんな、落ちこぼれを応援したくなるのかな? 親目線の方が多いんですよね。『今日はすごく頑張ったね!』『ドロップキックできたね!』とか。すでに完成されている人は安心感があると思うんですけど、自分はお客さんを常にハラハラドキドキさせたいっていう気持ちがずっとある。『あれ? ケガした?』とか、『ここで終わっちゃうんじゃないの?』とか。お客さんの心を引っ搔き回したい」
――ある地方の大会で岩谷選手が欠場した時、風香さんがファンの方に謝ろうとしたら、逆にファンの方に謝られたっていうエピソード、素敵です。
「それ欠場じゃなくて......寝坊したんですよ」
――ええっ!
「寝坊して、遠征のバスに乗り遅れて連絡がつかず、興行が始まってしまった。『寝坊した! ヤバい!』って思ったけど、どうせ間に合わないし、『あ、もういいや。寝ちゃおう』って。
その翌日にも大会があったんですけど、みんなに会いづらいし、怒られたくないし、そこでも音信不通になったんです。そうしたら団体のTwitterでその大会も欠場で、対戦カードが変更になることが書いてあったから、『あ、欠場するんだ』と。でも一応、会場には行ったんですよ。えらくないですか?」
――えらいです! その時に限らず音信不通と失踪を繰り返し、2016年には「トリマーになるからやめます」宣言。その年は、三冠王(「アーティスト・オブ・スターダム王座」「ゴッデス・オブ・スターダム王座」「ハイスピード王座」)になって調子がよかった頃ですよね?
「ハイ、調子はよかったですね。なんでやめようと思ったのか、自分でもよくわかってないんですよ......。会場でみんなに挨拶回りもしたんです。『今月いっぱいでやめることになりました』って言ったら、『え、なんでなんで?』となって。『トリマーになります。今までありがとうございました。たくさんご迷惑をお掛けしました』って、ちゃんとお別れの挨拶をしたんです。で、その次の興行に出てましたね......」
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